お母さん、大好きだよ<遺児の作文紹介>
子どもたちの、こころの声
あしなが育英会の心のケア事業では、日本各地のレインボーハウスで、親を亡くした子どもたちの気持ちや痛みを表現することを手助けするグリーフサポートプログラムを開催しています。
プログラムでは、遊びやおしゃべりを通して、自分の気持ちに丁寧にふれることを大事にしています。これまでの28年間に、多くの子どもたちが、その時々の自分の気持ちや体験を作文や手紙にしたためてくれました。
そして、それらの手記は本会がいくつかの作文集にしてきました。
5月14日の母の日によせて、作文集に収められた「お母さん」にちなんだ作文をいくつかご紹介します。
母を亡くした子どもの母の日
2つめの母の日の思い出
私は5歳の時、母を膵臓癌で亡くしました。
母が生きている時の思い出は、1度だけ真っ赤なカーネーションの花束を父と買って、母親にプレゼントしたことを、うっすらと覚えています。でも母が亡くなって、私の家には母の日が来なくなりました。母の日の感謝の作文も、私には書けることが思いつきませんでした。とにかく、周りにいる皆が羨ましかったです。
でも、そんな時に初めてレインボーハウスのつどいに来て、母の日の成り立ちを聞きました。私と同じように母親を亡くした女の子が、教会で白いカーネーションを配って、それから母親が生きている人は赤いカーネーションを、母親を亡くした人は白いカーネーションを贈るようになったそうです。
それを知ってからようやく、私の家にも久しぶりの母の日が来ました。私は白いカーネーションを、母の写真の前に飾りました。やっと私にも、2つめの母の日の思い出ができました。そして去年は、赤とピンクと白のカーネーションを、1本ずつ、何年かぶりに母へ宛てた手紙を添えて。飾ったカーネーションは、今も2本、ドライフラワーになって残っています。
今年ももうすぐ母の日が来ます。
今年は白いカーネーションを、母への手紙を添えたいです。
少しずつ増えていく母の日の思い出を、これからもずっと大切にしていきたいと思います。
中学2年生・女子
『父の日にお父さんはいない~親を亡くした子どもの作文集~』より
ピンクのカーネーション
去年の母の日、私は仏壇の前で手を合わせていました。
いつも通り、朝ごはんを食べたり、顔を洗ったり、勉強したりしていました。
祖母に、「お買い物に行くけど、いっしょに来る?」と言われて何となく、「行く」と返事をしました。
買い物をしているとき、「お母さんのために何か買いたいな」と思いました。買い物が終わるころ、私は「お母さんのために、カーネーションを買いたいな」と祖母に言いました。すると祖母は、「いいよ。お母さんに、ぴったりのカーネーションを探してきてあげて」と言いました。私はこのとき、「おばあちゃんにも買いたいな」と思いました。
赤いカーネーションと、ピンクのカーネーションを買って帰りました。
家で祖母に赤いカーネーションをプレゼントして、仏壇にピンクのカーネーションを置きました。そして手を合わせました。祖母は笑顔で「お母さんは喜んでいると思うよ」と言ってくれました。
今年も何かプレゼントしたいと思います。
小学6年生・女子
『父の日にお父さんはいない~親を亡くした子どもの作文集~』より
母への想い
働いてくれるお母さんに感謝
最近思うことがあります。一つ目はお金が空から雨のように降ってきたらいいな。その理由は今年は受験で、受験代や塾代などお金がかかることばかりです。塾に行くのもたくさんのお金がかかって、お母さんにとても迷惑をかけた気がします。
私の受験料のために働いてくれるお母さんには感謝したいです。大きくなったら家を買ってあげて、お母さんと暮らしたいです。だからお母さんには、私が20歳になるまでは死んでほしくないです。
中学3年生・女子
『わたしだけじゃないんだ~親を亡くした遺児たちの作文集~』より
お母さん大好き
お母さん、いつも私たちのことを気にかけてくれて、ありがとう。私は、少し天然で、しっかりしてて、でもどこかぬけてて・・・。そんなお母さんが大好きだよ。
お父さんのこと、お母さんは、「三人でも幸せだね」って言ってるけど、知ってるよ。お兄ちゃんと私の前では、「いなくて大丈夫」って言ってるけど、涙目だったよね。無理はしなくていいんだよ。お母さんの中で、私は「子ども」だけど、私だって、それぐらい気付けるようになってます。
たまには、そんなことも私に話してね。
お母さんは、親一人で子ども二人を育ててくれた、すごい人。
朝から夕方まで働いて、帰って来てからは家事をやりこなす、すごい人。
自分の失敗だって、「なんとかなるさ」ってすませるすごい人。
私は、そんなお母さんが大好きだよ。
世界で一番、大好きです。
小学6年生・女子
『こころに虹がかかるまで~親を亡くした子どもたちの作文と成長記録~』より
母の日の起源をご存知ですか?
日本の母の日の原型と言われているのは、アメリカで南北戦争負傷兵の衛生改善活動を行ったアン・ジャービスの娘、アンナ・ジャービスのお話です。
1907年5月12日、アンナは亡き母を偲んで、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念の礼拝を開きました。その翌年の1908年5月10日、同じ教会で最初の母の日が祝われました。
亡き母を想うアンナの大切な気持ちがきっかけで生まれた母の日。
レインボーハウスでは、母の日が近づくと子どもたちにアンナの話を伝え、母を想う時間を共に過ごしています。
作文集『父の日にお父さんはいない』を無料進呈中
公益社団法人ACジャパンによる、あしなが育英会支援キャンペーンで使用された亡き父を想う遺児の作文。その作文をはじめ、子どもたちの亡き親への想いがつまった作文集『父の日にお父さんはいない』を無料進呈しております。
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