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お父さんへ、今の私を伝えたい|<父の日>遺児の作文紹介

コラム 2023.06.13

 

あしなが育英会の心のケア事業では、日本各地のレインボーハウスで、親を亡くした子どもたちの気持ちや痛みを表現することを手助けするグリーフサポートプログラムを開催しています。

 

プログラムでは、遊びやおしゃべりを通して、自分の気持ちに丁寧にふれることを大事にしています。

これまでの28年間に、多くの子どもたちが、その時々の自分の気持ちや体験を作文や手紙にしたためてくれました。そして、それらの手記は本会がいくつかの作文集にしてきました。

 

6月18日の父の日によせて、作文集に収められた「お父さん」にちなんだ作文をご紹介します。

亡くなったお父さんへの手紙

最初で最後の約束

 

そっちの世界に、元気とかあるかどうかわかりませんが、お元気ですか。私達は元気です。

私は6年生となりました。最高学年となり、自覚や責任を持たないといけなくなって、とても大変です。

最近、友達から急に「おじいちゃんとお父さん、どっちが亡くなったんだっけ?」と、みんなの前で聞かれました。「お父さんだよ」って言ってもよかったけど、なんだかいやで、聞こえないふりをしていました。最近、そんな自分がいやになります。

お父さんの大切さを、今さらだけど気づきます。生きているときに、気づけばよかった。もうくやしさしかありません。今ごろくやんでも、何もならないって知っているけれど、くやしい。

私はあと1年ぐらいで小学校卒業です。卒業式、本当はみんなみたいに、お父さんに見てもらいたいけど、しょうがないよね。でも、空からしっかり見ていてね。これはきっと最初で最後の約束だから。これからも私を守ってね。絶対だよ。

小学6年生・女子

『父の日にお父さんはいない~親を亡くした子どもの作文集~』より一部抜粋

 

 

父のいない父の日
 

去年の父の日は、お父さん宛に、手紙を書きました。今の家族の様子、自分のこと、誰にも言えない悩み事。今の自分の気持ちを、すべて書き、その手紙を仏壇に供えました。

私は、5歳の時に、お父さんを病気で亡くしました。お父さんは行方不明になってから2週間後に、遺体となって発見されました。なので、命日も分からず、お通夜もなく、火葬場にも私は立ち会えず、私にとって突然の別れでした。だからこそ、私は父の日やお父さんの誕生日には、必ず手紙を書いたり、祝ったりしています。
父の日には、コンビニやスーパーで、よく“父の日のプレゼントに”などと書いてある看板を見かけます。私は、それを見ると、なんだか寂しくなります。

私もお父さんがいれば必ずプレゼントを渡すことができたんだろうなと思います。なので、せめて手紙だけでも、と思い、手紙を書きます。

手紙は、今の家族を知ってほしい、お父さんが見られなかった私の成長を、知ってほしいという思いで書いています。手紙は、今の私を伝えられるものだと思います。

お父さんのいない父の日は、寂しいけれど、私にとっては、大事な大事な行事です。

 

中学1年生・女子

『父の日にお父さんはいない~親を亡くした子どもの作文集~』より一部抜粋

 

お父さんへの想い

本当はうそをつきたくない

 

私はお父さんを0才のときに、なくしています。0才だったので記憶はありません。でも、お母さんは私にお父さんのせいかくなどを、いっしょうけんめいおしえてくれます。お父さんは、やさしくて、いっしょうけんめい私をだっこして泣いているのを泣きやませたり、おせわをしてくれていたそうです。

お父さんはきゅうびょうで、朝にいきなりたおれてしまったそうです。私はお父さんが天国にいってしまって、こまっています。理由は、友達に、「今日ね、お父さんが帰ってきたらドライブにつれていってもらうんだよ。あなたは?」などときかれたりします。私はどうしても答えられません。なので、私はうそをついてしまいます。「今日もしごとなんだ」って言っちゃいます。

本当はうそをつきたくありません。でも、どうしても言えません。

小学3年生・女子

『わたしだけじゃないんだ~親を亡くした遺児たちの作文集~』より一部抜粋

 

 

 

もっとしゃべっていればよかった

 

他の子が父親のアルバムを持ってきて、父親について話していたけど、僕にはお父さんと写っている写真がないので、いいなと思いました。なぜないかというと、ほとんどの写真はお父さんが撮るのでお母さんと弟と妹が写っている写真ばかりがあります。

お父さんが自殺する前、お父さんとは2日くらい話してなくて、最後に話した言葉が、「まだテレビ見てんの?」で僕は、「うん」と答えて顔も見ずに答えて、お父さんの靴下しか見ていませんでした。今思うとその時、もっとしゃべっていればよかったと思ったし、顔も見ておきたかったです。

 

中学3年生・男子

『わたしだけじゃないんだ~親を亡くした遺児たちの作文集~』より一部抜粋

 

 

お父さんのこと、もっと知ろう

 

もうすぐ父の日ですが、私は毎年なにもしていません。なぜかというとあしながレインボーハウスにくるまでは、父の日になにをすれば良いのかが分からなかったです。

だけど今年は、お父さんのために父の日をすごそうかなと思います。お父さんが持っていた時計などをタンスから全部出して、お父さんのことをもっともっと知ろうかなあと思います。

中学3年生・女子

『わたしだけじゃないんだ~親を亡くした遺児たちの作文集~』より一部抜粋

 

 

親を亡くした子どもたちの父の日

父の日が近づくと、店頭やテレビなどで「お父さんへ感謝を伝えよう」と、父親へのプレゼント広告を目にします。学校でも、授業でお父さんへの手紙を書いたり、似顔絵を描くことがあるようです。

 

親を亡くした子どもたちにとって、父の日は、「グリーフ※」が揺れ動きやすい行事の一つです。複雑な想いを抱く子どもも少なくありません。

 

「父の日は、生きているお父さんのためのものだと思っていた」

「関連の行事があったらと不安で怖いから、母の日は学校を休んだ」

子どもたちからは、こんな声があがります。

 

 

 

母の日・父の日の時期になると、レインボーハウスではその起源を子どもたちに伝えています。

 

日本の母の日の原型と言われているのは、アメリカで南北戦争負傷兵の衛生改善活動を行ったアン・ジャービスの娘、アンナ・ジャービスのお話です。

1907年5月12日、アンナは亡き母を偲んで、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念の礼拝を開きました。その翌年の1908年5月10日、同じ教会で最初の母の日が祝われました。

 

「亡き母を追悼したい」というアンナの大切な気持ちがきっかけで生まれた母の日。

 

母の日の原点が亡き母への想いであったことを知ると、

「わたしも母の日・父の日に参加していいんだ」と驚く子どもが多くいます。

 

作文集『父の日にお父さんはいない』を無料進呈中

公益社団法人ACジャパンによる、あしなが育英会支援キャンペーンで使用された亡き父を想う遺児の作文。

その作文をはじめ、子どもたちの亡き親への想いがつまった作文集『父の日にお父さんはいない』を無料進呈しております。

ご希望の方は、こちらをご覧ください。

「父の日にお父さんはいない」の配布は終了しました

 

子どもたちの心の声を、多くの方に知っていただければと思います。

 

 

※グリーフ…大切な人やものとの喪失をしたときに経験する自然な反応のこと。

 

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