東日本大震災遺児支援 サッカー日本女子ユース東北選抜がブラジル・女子ユースチームと3試合実施:津波遺児への募金呼びかけ
このチャリティーマッチは、昨年FIFAワールドカップで世界制覇した「なでしこジャパン」の未来を担う、17歳以下の女子東北選抜(今年度全国高等学校女子サッカー選手権大会を制した常盤木学園高等学校を中心)が、東日本大震災一周忌の3月にサッカー王国ブラジルを訪問。津波遺児の「東北レインボーハウス建設」募金支援活動として、サンパウロの女子ユースチームと3試合を行う予定です。
試合前の「セレモニー」では、津波遺児高校生・佐々木証道さんが、チャリティーマッチの目的と東北レインボーハウスの必要性、そして津波遺児たちの現状を伝えると、多くの観客や相手選手から大きな声援が送られました。
在サンパウロ日本国総領事館・大部一秋総領事ご夫妻も応援に駆けつけ、両国の選手らに激励の言葉をかけられました。報道も国内メディアをはじめ、AFP通信やブラジル最大メディアのテレビグローボとブラジル教育テレビも取材に駆けつけました。
あしなが育英会は、国を超えた若者同士によるこの親善試合が、ブラジルおよび南米全土へ支援の輪となって広がり、津波遺児が「東北レインボーハウス」で心癒され、一日も早く元気を取り戻し、いつの日か、夢に向かって前に進んでいけるよう願っております。
佐々木証道さんは試合前のスピーチで、以下のように力強く訴えました。「この試合は、2,000人以上の津波で親を亡くした子どもたちの心のケアを行う東北レインボーハウス建設のために行います。私は、昨年の津波で母親と祖母を亡くしました。でも、僕よりももっと年下で親を亡くした子やもっと心のケアが必要な子たちがたくさんいます。ですから、早くレインボーハウスが必要です。みなさんの協力をお願します」。
佐々木さんは、津波10日後、地元の体育館で母親の遺体と対面。父親も母親や祖母と一緒に流されましたが、父は奇跡的に生還。現在、仮設住宅暮で暮らしており、将来エンジニアになることを夢見て、地元国立大学に進学するため勉強に励んでいます。今回のブラジル渡航の呼びかけに、「自分でできることがあるなら」と、自ら手を上げ参加しました。日本女子ユース東北選抜の中にも実家を津波で流され、親戚を亡くした選手や福島第一原発近くの高校から避難、そして転校を余儀なくされ、サッカー部員4人で頑張っている高校の選手もいます。
4日(日)の最終戦は、ブラジル屈指の強豪ジュベントスの女子チームとの対戦。ジュベントスホームスタジアムには、在サンパウロ日本国領事館の大部一秋総領事ご夫妻はじめ、500人を超える在伯日本人、ブラジル人が詰めかけ、国内最大のテレビ局テレビグローボやブラジルメディア6社、AP通信、ロイター通信、AFP通信、日系メディアなど計11社のメディアがチャリティマッチ最終戦を取材しました。
スタジアムでは、日本語とポルトガル語で書かれたあしなが育英会資料や東日本大震災遺児作文集「お父さんの顔」も配布。また、津波遺児高校生の佐々木証道さんがグラウンドのピッチ中央から東北レインボーハウス建設募金をマイクで訴えました。力強い訴えに、観客から励ましの大きな拍手を送られ、多くのテレビカメラを通じ、ブラジル国内外にその訴えが響き渡ったようでした。
試合は、前半にジュベントスが1点を取り、後半に東北選抜がセットプレーから小島ひかる(JFAアカデミー福島)さんの同点ゴールで追いつき、1-1の同点で全3試合を終えました。ブラジル遠征全3試合の結果は1勝1敗1分け。サンパウロのプロチームでプレーしている選手もいた中で大健闘でした。
互いの若い選手たちが東日本大震災を忘れず、同世代や年下の津波遺児たちのことを思いながら全力でプレーする姿に、試合後、スタンドから鳴り止まぬ拍手が送られました。
東北選抜チームは、今後、地元高校で高校生たちとの交流会や100年前に日本から多くの移民を乗せた笠戸丸号が到着したサントス港を訪れ、日本とブラジルの移民100年の歴史などを学び、8日に帰国予定です。なお、今回のブラジル渡航は、財団法人日本サッカー協会の多大なる協力と、カタール航空(往復航空券)と日本カントリークラブ(ブラジル宿泊場所)の支援で実現できたことに深く感謝申し上げます。