「こころの居場所」を開催しました
東日本大震災から12年が経ちました。仙台、石巻、陸前高田のレインボーハウスは「こころの居場所」を3月11日(土)、12日(日)の2日間、開催しました。13回忌の法要や追悼式後に来館された方もいました。
「こころの居場所」は特別なことはせず、なき人を想ったり、想いを言葉やメッセージで表現したり、いつも通りに過ごしたりといった自分のペースで過ごせる場所となれるように開館をしました。
仙台レインボーハウス
3月11日の仙台は朝から春晴。窓からあたたかい光が差し込むなか開催しました。
今年は普段の子どもたちの賑やかな声があふれるレインボーハウスとはまた違い、保護者中心のゆったりと穏やかな時間が流れるレインボーハウスとなりました。お子さんの高校や大学への進学が決まったうれしい報告がありました。忙しい日々を過ごしつつも、自分の健康のために運動を続けていたり、ボランティア活動に申し込んだりという近況をそれぞれお話しくださいました。
記憶を過去にさかのぼる時間よりも、現在の幸せや、これからの先を見つめた会話が広がり、やわらかい話声と時折はじけるような笑い声に包まれる、そんな穏やかな2日間となりました。
石巻レインボーハウス
参加者たちが「ただいま~」とレインボーハウスの玄関から入ってきて「おかえり」と応える声が響き渡りました。
久々の再会と子どもたちの成長を喜び合う和やかな時間が流れるなかで、高校進学や就職内定などの近況報告の他、自作のケーキを披露し、そのケーキに込めた想いを発表してくれた子もいました。
一方、震災に纏わる話もポツポツと出てきました。
「震災前は8人いた家族が、今は3人しかおらず、3人分の料理をつくるのが難しい」
「11日が過ぎて、安心した…」
「(14時46分、防災無線の)サイレンが鳴ったあたりは、おしゃべりの最中だったので気持ちが去年とはまるで違いました。あの時間を何気なくやり過ごすことができたので、とてもよかったです。私にとってはとてもとてもきつい時間なのです」
あの日から10年以上の月日が経ちました。それでも悲しみや不安を感じるタイミングはそれぞれに違うということを改めて職員も実感しました。さまざまな想いを抱えた方が集えるようにと開催している「こころの居場所」。また再会できる日を願って、「またね」と子どもたちを見送りました。
陸前高田レインボーハウス
中学生や大学生、社会人の遺児、その保護者が岩手県内外問わず、さまざまな地域から参加しました。
発災時刻である14時46分は、館内外で黙とうをしたり、黙とうをせずに過ごしたりなど、それぞれ自分のペースで過ごしました。「黙とうをしない」には、発災時刻には家族と連絡が取れており、そのあとに襲った津波でなくなったために「14時46分にはまだ生きていた」との想いがあります。
レインボーハウスの3月11日は「再会」も1つの特徴であり、誰かが来館するたびに「久しぶりだね」と言葉が交わされていました。コロナ禍も影響し、4年ぶりの参加となった大学生もいました。 関東から参加した保護者は、新型コロナの影響の大きかった2020年から2022年は、お盆や正月に帰省しても誰とも会わずに家の手入れをしていた、とお話されていました。
2011年からのプログラムで撮影した写真を見ながら、この12年を振り返る姿も印象的でした。
夕方には社会人の遺児から電話がありました。「今年は参加できないから、レインボーハウスのスタッフと話したい」と思って電話をくれたようです。「楽しみながら、仕事頑張っているよ。来年の3.11は帰省しようと思うから、レインボーハウス行くね」と話してくれました。対面ではない形でも、こころの居場所になれていると実感する機会となりました。