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あしなが運動の歴史

被害者がつくり、庶民・若者が育てたあしなが運動


あしなが運動の原点は、2つの痛ましい交通事故でした。1961(昭和36)年、新潟で岡嶋信治さん(本会名誉顧問)の姉と甥が酔っぱらいトラックにひき殺され、初の殺人罪が適用された交通事故。1963年には、玉井義臣会長の母が暴走車にはねられ、1か月あまり昏睡状態の末亡くなりました。この2人が中心となり、1967年、交通事故遺児を励ます会が誕生。1969年には、交通遺児育英会が発足しました。

街頭募金や継続的に送金してくださるあしながさんのおかげで進学できた交通遺児が、「恩返し運動」として、1983年に災害遺児の奨学金制度をつくる運動が始まり、1988年に災害遺児奨学金制度が発足。さらに、進学した災害遺児が病気遺児の奨学金制度づくりを呼びかけ、1993年に病気遺児奨学金制度発足に合わせて、あしなが育英会が誕生しました。


1999年には、阪神・淡路大震災遺児の心のケアセンター「神戸レインボーハウス」が世界中からの支援で完成。コロンビア・トルコ・台湾の大震災遺児の支援を、神戸の震災遺児が恩返しにと呼びかけ、海外遺児の支援活動に発展しました。

2003年、アフリカ・ウガンダにエイズ遺児の心のケアのための「ウガンダレインボーハウス」が完成。2008年からは「読み、書き、計算」のテラコヤ教室も始まりました。

また、東京・日野市に「あしなが心塾レインボーハウス」が2006年に完成。180人収容の学生寮と全国の遺児の心のケアセンターとしてスタートしました。学生寮には、国内の遺児のみならず、ウガンダ、インドネシア、スリランカなど海外の遺児も留学生活を送っています。
2012年、小説『あしながおじさん』出版100年を迎えます。今後は、アフリカの遺児の世界各地の大学への留学支援を行い、将来アフリカのために働くクリーンなリーダー育成にも力を注ぎます。

あしなが育英会年表

1961年:岡嶋信治の実姉が酔っぱらいトラックにひき逃げされ死亡。朝日新聞「声」欄にその怒りを投書。
その投書に131通の激励の手紙。文通続く
1963年:玉井義臣(現本会会長)の母が交通事故に遭い、翌年、亡くなる
1963年:玉井、朝日ジャーナルに「交通犠牲者は救われていない」を発表。「救急医療」(7月)「被害補償」(9月)
1966年:玉井、「桂小金治のアフタヌーンショー」に交通評論家としてレギュラー出演
1967年:岡嶋は交通事故遺児を励ます会結成。
岡嶋は玉井の番組に出演後、二人三脚で第1回街頭募金実施(東京数寄屋橋)し、30万円集める。育英会設立資金の種銭になる
1968年:アフタヌーンショーで交通遺児の小4の中島穣さんが作文「天国にいるおとうさま」を読み、スタジオ、お茶の間が涙であふれる。
田中総務長官、遺児の全国調査を確約。励ます会が遺児作文集「天国にいるおとうさま」を出版。大反響。
国会で「遺児育成財団つくれ」と決議
1969年:財団法人交通遺児育英会(永野会長、玉井専務、岡嶋理事)設立
1970年:秋田大学祭募金。39大学125万円集まる。翌71年秋、「第1回全国学生募金」始まる。
現在の「あしなが学生募金」につながり、2005年10月で、第71回を数える(毎年春秋2回)。
高校奨学生のつどい始まる
1972年:遺児と母親、ご寄付者をつなぐ機関紙を創刊
1973年:「ゆっくり歩こう運動」発表。玉井、ユックリズム提唱。
大学奨学金制度スタート
1978年:交通遺児学生寮「心塾」(東京・日野市)開塾
1979年:どこかの誰かが遺児たちへそっとお金を送る「あしながさん寄付制度」開始
1982年:第24回あしなが学生募金の東京銀座に秩父宮妃殿下、森光子さん、吉永小百合さんを迎え、オープニング
1983年:進学した交通遺児らの恩返し運動「災害遺児育英募金」(後に発足する「災害遺児の高校進学をすすめる会)を熊本市で細川県知事(当時。後に首相)を迎えて旗揚げ
1985年:交通遺児の高校生代表が中曾根首相(当時)に災害遺児の実態調査を要望。首相確約
1986年:災害遺児作文集「災害がにくい」発刊
1988年:「災害遺児の高校進学をすすめる会」が災害遺児へ奨学金制度を開始
1989年:災害遺児らが恩返し運動「病気遺児育英募金」(後に発足する「病気遺児の高校進学を支援する会」)を開始。
1990年:玉井、朝日新聞社より「朝日社会福祉賞」受賞 。受賞理由「交通遺児を救済して社会福祉に貢献」と、心塾など独自の教育
1991年:「第1回あしながPウォーク10」を全国100コースで開始 ~2005年11月で、第29回を数える(毎年春秋2回)~
1993年:「災害遺児の会」と「病気遺児の会」が合併して、「あしなが育英会」誕生
1995年:阪神・淡路大震災発生。6、000人以上の死者。
ローラー調査で573人の震災遺児を確認。 812人の遺児学生とボランティアが204世帯の震災遺児家庭を訪問し、実態調査
1996年:「第1回阪神大震災で亡き人を偲び話しあう会」開催。
阪神大震災遺児の一年の心の傷を綴った「黒い虹」(廣済堂出版)発刊
1997年:ガン・闘病から死までの遺族たちの心の叫び「お父さんがいるって嘘ついた」発刊
1999年:世界150か国以上から寄付がよせられ、日本初、震災遺児の心のケアをおこなう「神戸レインボーハウス(虹の家)」(神戸市)を建設。
世界各地で大震災発生。阪神大震災遺児らが激励募金をして、コロンビア、トルコ、台湾に募金を直接届ける
2000年:「第1回国際的な遺児の連帯をすすめる交流会」(略称国遺連)を開く(台湾、コロンビア、トルコ、コソボの遺児来日)
2001年:あしなが高校奨学生によるエイズ遺児の心の支援募金を全国で実施。
「第2回国遺連交流会」にウガンダエイズ遺児を招待
2002年:「第3回国遺連交流会」にNYからテロの遺児、アフガンから空爆遺児らを招き7か国91人のつどい。
阪神タイガースが全選手のヘルメットに「あしなが育英会」のステッカーを貼り遺児を応援。
星野監督の提案で、自らの遺児経験による。自死遺児学生らが実名で発表した単行本「自殺って言えなかった。」(サンマーク出版)発刊
2003年:「第4回国遺連交流会」にイラク、NY、アフガン戦争遺児ら、海外から6か国70人が参加
2005年:1月、「第5回国遺連交流会」に世界10か国から震災、戦争、テロ、エイズ遺児らが参加。
8月、「第6回国遺連交流会」に世界15か国からインド洋津波、震災、戦争、テロ、エイズ遺児らが参加
2006年:180人収容の学生寮と遺児のケアセンター「あしなが心塾レインボーハウス」(東京都日野市)竣工。初の海外遺児留学生、ウガンダエイズ遺児のナブケニャ・リタさんが早稲田大学に入学。
「第7回国遺連交流会」は16か国100人の海外遺児と日本の遺児1、000人が交流する「つどいコラボ」に発展。
2007年:あしながレインボーハウス「全国小中学生遺児のつどい」開始。
「第8回国遺連交流会」は20か国100人の海外遺児と日本の遺児が「つどいコラボ」。
2008年:中国・四川大震災遺児の支援のため「遺児の心のケア使節団」を派遣
20年ぶりに「第20回遺児と母親の全国大会」を開催。銀座を400人でデモ行進をし、遺児の貧困の連鎖を断ち切ることなどを訴え。
2009年:神戸レインボーハウスが開設10年。小学生の遺児の学習支援の「虹の寺子屋」開始。
「第21回遺児と母親の全国大会」で「子どもの貧困対策基本法」の制定などを訴え。
2010年:神戸の学生寮「虹の心塾」に初の海外遺児留学生2人が関西学院大学に入学。ハイチ震災遺児2人が関西大学に留学。
アフリカの遺児を世界各国の大学に進学させ、クリーンなリーダー育成を目指す「あしなが運動100年構想」を発表

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