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「心のケア」は、奨学金の貸与と共に「あしなが運動」の2本柱の一つです。21世紀は、経済的な支援と同じくらい「心のケア」が、遺児救済の大きな問題であり、社会に投げかけられている重い課題であると考えており、あしなが運動でも大切な事業と考えています。
かけがえのない親を亡くした子供の心は深く傷つきます。
私たちは、1967年から始まった遺児救済運動のごく当初からこのことに気づき、全国の交通遺児の高校生や大学生を対象に、毎年夏休みに「奨学生のつどい」という形で、心のケアの短期教育プログラムを実践してきました。
対象はその後、交通遺児を除く、災害、病気、自死遺児と広がりました。共通体験を持つ遺児同士が、親との死別体験を語り、苦しみを分かち合うことで、「苦しいのは自分ひとりじゃない」と気づき、学校でも家族にさえも言えずに、長年、ひとりだけの殻の中に閉じ込めてきた自分をはじけさせます。この吐きだしの過程を経て初めて、遺児たちは自助・自立に向けて歩き始めることができます。「つらい中で頑張っている仲間に負けてられない」と。
1995年1月17日、阪神淡路大震災で573人が親を亡くしました。あしなが育英会は現地神戸に事務所を開設して、幼児から保護者まで対象を広げ、継続的な心のケア活動を展開しました。
その活動を通して、心のケアは短期プログラムでは不十分で、深い心の傷を癒すために、遺児がいつでも好きなときに安心してケアを受けられる場所、いわば"遺児の駆け込み寺"が必要ということを学び、1999年1月にとくに幼児や小中学生を重点的に対象にした長期プログラムの癒しの家「神戸レインボーハウス(虹の家)」をオープンしました。全国はもちろん世界中からの15億円もの温かい寄付があって出来たのです。 この時の世界中からの善意が震災遺児の心を動かし、1999年に相次いだコロンビア、トルコ、台湾地震への救援募金、国際的な遺児の連帯ををすすめる会(「国遺連」活動)が始まり、エイズ遺児、テロ遺児、戦争遺児、さらには津波遺児への心の支援活動へと発展しています。
一方国内では、2006年春には、親の死因にかかわりなく全ての遺児の癒しの家のセンターとなる「あしながレインボーハウス」が「あしなが心塾」(東京都日野市)に併設されます。
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