玉井義臣 教育こそ百年の計 遺児と共に43年

2011-12-30

ブラジルに根差した仲間と次代へのバトン

 21年ぶりとなる渡伯に際し、古い仲間を思い出し連絡を取った。彼からのメールには一葉の写真が添付されていた。
 メールの末尾には「クリスマスを一緒に過ごしましょう。家族みんなで首を長くして待っています。」と結ばれていた。


 私、藤村修(現内閣官房長官)、故山本孝史参議院議員とともに幼子を抱いている飯野俊夫君は大阪府立大学在学中の1970年「大阪交通遺児を励ます会」において故山本君と交通遺児支援の市民活動を始めた古くからの仲間である。ブラジルに渡った彼はそこで奥さんと出会った。夫人はイタリア系とのことだった。その際に、私もいろいろ走り回って彼の移住を応援したことを思い出した。
 飯野君はブラジル南部のパラナ州の州都クリチバに住んでいる。サンパウロから約450㎞、空路で1時間弱のブラジル南部では最大で白人が多い都市だ。

 24日の午後、私はクリチバの空港に降り立った。南部最大の街ではあるが、ブラジルの田舎を感じさせる静かな所だった。クリスマスということもあるかもしれない。ブラジルは敬虔なクリスチャンが多く、クリスマスは家族と静かに過ごす。今日から2日間、私と秘書の村山君は彼の家族として過ごすことになる。空港に迎えに来てくれた飯野君は昔と変わらない細身な姿で人のよい朴訥とした語り口も変わっていなかった。寡黙で朴訥なところは、陽気なラテンの血も寄せ付けないのか。私は彼を見直した。


 彼はクリチバ郊外で文房具店を開いている。文房具を扱う他、印刷・簡易製本サービスを提供しているという。そのお店はこじんまりしていたが、地域に根差して誠実に商売をしている雰囲気が漂っていた。家に着くと、奥さんと写真では幼子だった息子が185cmという長身に成長していて、私は彼に覆いかぶさられるように挨拶された。息子のケンジ君は名門大学Pontifícia Universidade Católica do Paraná(略称PUC プッキ)商学部に特待生で入学したので教育費はすべて無償という親孝行だ。
 24日の晩は家族3人の中に混ぜてもらい、ささやかではあるが温かいブラジル家庭のクリスマスを静かに楽しんだ。ケンジ君へ父親の若い頃の話をすると、彼は真剣な眼差しで聞き入りながらいろいろなことに思いを馳せているようであった。最後には私を「おじいちゃん」と呼んでいた。
 ブラジルに根差して生きている飯野君の姿と息子のケンジ君を見ながら、長い時の流れと未来への光をみた。クリチバでのクリスマスは安心と温かさを感じる貴重な2日間であった。