<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>玉井義臣　教育こそ百年の計　遺児と共に43年</title>
<link>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/</link>
<atom:link href="" rel="self" type="application/rss+xml" />
<description></description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright (C) 2009 玉井義臣　教育こそ百年の計　遺児と共に43年 All rights reserved.</copyright>
<lastBuildDate>Wed, 18 Jan 2012 15:58:08 +0900</lastBuildDate>
<generator>acms v1.3.1</generator>
<docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs>
<item>
<title>ブラジルに根差した仲間と次代へのバトン</title>
<link>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-463.html</link>
<description><![CDATA[
<div class="newsTextBox">
<p >　21年ぶりとなる渡伯に際し、古い仲間を思い出し連絡を取った。彼からのメールには一葉の写真が添付されていた。<br />　メールの末尾には「クリスマスを一緒に過ごしましょう。家族みんなで首を長くして待っています。」と結ばれていた。</p>
<div class="column-image-left">
<a href="http://www.ashinaga.org/archives/002/201201/large-4f166ca60b03a.jpg" rel="highslide"">
<img class="columnImage" src="http://www.ashinaga.org/archives/002/201201/4f166ca60b03a.jpg" alt="" width="300" height="203" />
</a>
</div>
<p >　私、藤村修（現内閣官房長官）、故山本孝史参議院議員とともに幼子を抱いている飯野俊夫君は大阪府立大学在学中の1970年「大阪交通遺児を励ます会」において故山本君と交通遺児支援の市民活動を始めた古くからの仲間である。ブラジルに渡った彼はそこで奥さんと出会った。夫人はイタリア系とのことだった。その際に、私もいろいろ走り回って彼の移住を応援したことを思い出した。<br />　飯野君はブラジル南部のパラナ州の州都クリチバに住んでいる。サンパウロから約450㎞、空路で1時間弱のブラジル南部では最大で白人が多い都市だ。</p>
<p >　24日の午後、私はクリチバの空港に降り立った。南部最大の街ではあるが、ブラジルの田舎を感じさせる静かな所だった。クリスマスということもあるかもしれない。ブラジルは敬虔なクリスチャンが多く、クリスマスは家族と静かに過ごす。今日から2日間、私と秘書の村山君は彼の家族として過ごすことになる。空港に迎えに来てくれた飯野君は昔と変わらない細身な姿で人のよい朴訥とした語り口も変わっていなかった。寡黙で朴訥なところは、陽気なラテンの血も寄せ付けないのか。私は彼を見直した。</p>
<div class="column-image-right">
<a href="http://www.ashinaga.org/archives/002/201201/large-4f166ca639661.jpg" rel="highslide"">
<img class="columnImage" src="http://www.ashinaga.org/archives/002/201201/4f166ca639661.jpg" alt="" width="300" height="225" />
</a>
</div>
<p >　彼はクリチバ郊外で文房具店を開いている。文房具を扱う他、印刷・簡易製本サービスを提供しているという。そのお店はこじんまりしていたが、地域に根差して誠実に商売をしている雰囲気が漂っていた。家に着くと、奥さんと写真では幼子だった息子が185cmという長身に成長していて、私は彼に覆いかぶさられるように挨拶された。息子のケンジ君は名門大学Pontifícia Universidade Católica do Paraná（略称PUC プッキ）商学部に特待生で入学したので教育費はすべて無償という親孝行だ。<br />　24日の晩は家族3人の中に混ぜてもらい、ささやかではあるが温かいブラジル家庭のクリスマスを静かに楽しんだ。ケンジ君へ父親の若い頃の話をすると、彼は真剣な眼差しで聞き入りながらいろいろなことに思いを馳せているようであった。最後には私を「おじいちゃん」と呼んでいた。<br />　ブラジルに根差して生きている飯野君の姿と息子のケンジ君を見ながら、長い時の流れと未来への光をみた。クリチバでのクリスマスは安心と温かさを感じる貴重な２日間であった。</p>
<br class="clearHidden" />
</div>
]]></description>
<dc:creator xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">あしなが02</dc:creator>
<comments>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-463.html#comment</comments>
<guid isPermaLink="true">http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-463.html</guid>
<pubDate>Fri, 30 Dec 2011 15:55:21 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>富士通・間塚道義代表取締役会長と富士通本社で初会談</title>
<link>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-407.html</link>
<description><![CDATA[
<div class="newsTextBox">
<p >　あしなが育英会の玉井義臣会長は、11月2日午前、富士通本社を訪問し間塚道義代表取締役会長と会談した。この会談は3月11日の東日本大震災の際にあしなが育英会が行った被災者への支援活動を知った間塚会長の呼びかけで、10月14日から開催された富士通レディース・ゴルフトーナメントの前日に行われたプロ・アマ・チャリティーゴルフの収益があしなが育英会に寄付されたことがきっかけで実現した。</p>
<div class="column-image-center">
<img class="columnImage" src="http://www.ashinaga.org/archives/002/201111/4eb1298dd23e4.jpg" alt="" width="400" height="270" />
</div>
<p >　冒頭で間塚会長の出身地が、玉井会長が学んだ滋賀大学に近い長浜市であることが話題になり、会談は和やかな雰囲気で始まった。<br />　会談の内容は多岐にわたったが、やはり両会長を引き合わせるきっかけになった、3月11日の東日本大震災の話題でスタートした。玉井会長が海外出張でウガンダに向かっている最中に東北の震災が起こり、現地に到着してすぐにニュースを知り日本にとんぼ返りしたこと、震災発生からわずか2日間で、地震と津波で親を失った子供たちのために、何に使ってもよい返済義務のない特別一時金の給付を決めたこと、この特別一時金給付の即決が海外から高い評価を受けたこと、また一時金給付の情報を一人でも多くの被災者に伝えるために、あしなが育英会の職員と奨学生が協力しあって被災地を奔走したことを説明した。何度も深くうなずきながら説明を聞いた間塚会長は、震災直後にあしなが育英会が見せたスピード感と機動力は素晴らしかったと、賛辞を送った。間塚会長も地震発生時は出張でニューヨークに滞在しており、テレビで被災直後の現地の映像を見た。“現実かと疑った”と、惨状を映し出した映像から受けたショックについて語り、急いで日本に帰国したことなど、当時の状況を振り返った。</p>
<div class="column-image-left">
<img class="columnImage" src="http://www.ashinaga.org/archives/002/201111/4eb1298de19fc.jpg" alt="" width="300" height="201" />
</div>
<p >　震災後、復興支援に人員を回すため、様々なイベントを中止または延期せざるをえなかった富士通は、10月の富士通レディース・トーナメントは復興支援の意味も込めて予定通りの開催を決めた。長年にわたりプロアマトーナメントの収益をさまざまな団体に寄付してきたが、今年は間塚会長の脳裏に3月の地震と津波で親を亡くしたたくさんの子供たちのことが浮かんだ<br />という。今年は寄付金が直接被災者にわたる団体を選ぶように担当者に要請したところ、結果あしなが育英会に決まった経緯を玉井会長に説明した。玉井会長は間塚会長に感謝の意を述べた。<br />　この会談の日程は玉井会長のスケジュールの関係で、何度か変更された。それでも間塚会長が辛抱強く待ってくれたおかげで会談が実現した。そのことに玉井会長がふれると間塚会長は、あしなが育英会の活動は40年にわたり長く続いている、玉井会長は76歳という年齢にもかかわらず、海外にも活動を広げておりそのバイタリティーを吸収したいと思った、と会談への思いを語った。<br />　その後、話題はあしなが育英会の名前の由来になったジーン・ウエブスターの小説”足長おじさん“に及んだ。小説の発刊から来年がちょうど100周年になることから、著者ジーン・ウエブスターの出身校である米国のヴァッサー大学とあしなが育英会が共同で、留学プログラムや、貧困に喘ぐウガンダの子供と、富裕層の子女であるヴァッサー大学の学生によるイベントを準備していることを玉井会長が間塚会長につたえ、富士通の応援を要請した。<br />　続いて間塚会長が玉井会長3月の地震・津波以来、富士通が行ってきた東北復興のための支援活動を説明した。富士通は社会インフラを担う企業の使命から、病院、消防、警察、自治体等のシステム復旧を最優先に掲げ、ICT(情報通信技術)を通して国や地域の復興を支えていること、また震災時には神戸や中越の震災を経験した土地勘のあるメンバーを中心に全国からのべ1,500人の応援隊を東北の現地に送り込み、お客様の元に直接足を運んでの支援を行ったことなどを説明した。間塚会長は新しい安心で安全なまちづくりを目指し頑張りたいと述べ、玉井会長にあしなが育英会の協力を求めた。<br />　両会長は今後も情報を交換し合いながら互いに協力していくことを確認し、1時間20分に及んだ会談を終了した。</p>
<br class="clearHidden" />
</div>
]]></description>
<dc:creator xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">あしなが02</dc:creator>
<comments>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-407.html#comment</comments>
<guid isPermaLink="true">http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-407.html</guid>
<pubDate>Wed, 02 Nov 2011 17:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>日本経済新聞2011年9月22日付夕刊9面 「ニュースな人ヒト 官房長官藤村修さん」</title>
<link>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-399.html</link>
<description><![CDATA[
<div class="newsTextBox">
<p >「首相を立てる」に徹する官房長官－藤村修さん<br />裏方で光る堅実さと度胸<br /><a href="http://t21.nikkei.co.jp/g3/CMNG011.do?r=xxKan64201&ls=30016831-1">http://t21.nikkei.co.jp/g3/CMNG011.do?r=xxKan64201&ls=30016831-1</a></p>
<br class="clearHidden" />
</div>
]]></description>
<dc:creator xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">あしなが02</dc:creator>
<comments>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-399.html#comment</comments>
<guid isPermaLink="true">http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-399.html</guid>
<pubDate>Thu, 29 Sep 2011 17:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>産経新聞２０１１年９月３日付「人 生き方」</title>
<link>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-398.html</link>
<description><![CDATA[
<div class="newsTextBox">
<div class="column-image-center">
<img class="columnImage" src="http://www.ashinaga.org/archives/002/201109/4e827d579adf1.jpg" alt="" width="454" height="599" />
<p class="caption">平成２３年９月２６日付・産経新聞社記事利用承諾</p>
</div>
<div class="column-file-center">
<a href="http://www.ashinaga.org/archives/002/201109/4e827d57a80e7.pdf"><img class="columnIcon" src="http://www.ashinaga.org/images/fileicon/pdf.gif" alt="" width="64" height="64" /></a>
</div>
<br class="clearHidden" />
</div>
]]></description>
<dc:creator xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">あしなが02</dc:creator>
<comments>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-398.html#comment</comments>
<guid isPermaLink="true">http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-398.html</guid>
<pubDate>Mon, 26 Sep 2011 17:55:43 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>機関紙「NEWあしながファミリー」１１８号・共生（コラム）☆「（生活）特別一時金」のスピード制定が称賛と信用高める☆勇気あるＮＹ募金がＡＳＨＩＮＡＧＡを世界的にした☆</title>
<link>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-386.html</link>
<description><![CDATA[
<div class="newsTextBox">
<div class="column-image-center">
<a href="http://www.ashinaga.org/archives/002/201108/large-4e5a3757be257.jpg" rel="highslide"">
<img class="columnImage" src="http://www.ashinaga.org/archives/002/201108/4e5a3757be257.jpg" alt="" width="400" height="356" />
</a>
<p class="caption">「Please help Japan!!」。東日本大震災で親を亡くした津波遺児が自らの声で訴えた＝６月９日、ＮＹタイムズ・スクエア</p>
</div>
<p >　今年ほどあしなが育英会への評価が急激に高まったことはない。運動の実績への評価、それにくっついて上がる信用は四十余年運動を創業し牽引してきた私にとって実に快い手応えである。<br />　日本人の評価の第一は、「津波遺児」たちへの支援策に日本一のスピード感があったことだろう。<br />　地震発生時の「３・11」、私は出張先のアフリカのウガンダの、ホテルで荷を解きＴＶ（ＣＮＮ・ＣＣＴＶなど）をつけた。経済市況をやっていた。とたん画面が急変、大津波の襲来で人、家、自動車が大きな流れに翻弄されている。相当高いビルも壁にスッポリ丸が開いたり、倒壊している。堤防も水をせきとめられず用をなさない。痛ましいのは人と思われる〝物体〟が引き潮のときＴＶに写し出される。外国版はノーカットで残酷で思わず目を覆う。家族も親戚も友だちも家財も自動車も、そして多くの想い出のよすがであったアルバムも、形になっていないそれぞれ一人ひとりの〝お宝〟も海の彼方に押し流された。辛い。恐ろしい。悲しい。空しい。黒い光景だ。そのとき、東京本部から電話。「午後、副会長らと常勤理事らと事務局長らは対策を議論したが、会長（玉井）がいないと決着がつかない、一番早い便で帰国してほしい」と吉田事務局長。ウガンダのあしなが事務所であるレインボーハウスに寄って帰る暇もなさそうで、トンボ返りを覚悟した。<br />　日本への飛行機が出るのは翌12日16時15分発のエミレーツ機で、途中、エチオピアとドバイで止まって成田着は３月13日17時半。時差を抜くと20時間位になる。大変な長丁場だ。<br />　一夜寝て機中の人となる。乗り物の中ではメモ片手にさまざまな思いをはせる。何が問題なのか。どうすれば問題解決するのか。日本の新聞もなし、報道なしの状態だ。でも問題点の整理をしつつ一睡もせず、考え続ける。<br />　対策のポイントは〝着の身着のまま〟の被災者にしぼる。ほとんど無一物の状態を想定する。そうこう考えているうちに、日本の成田空港に着く。日本時間で17時35分。直ちに東京本部に。<br />　私が帰国前、３月13日午前中、４副会長（下村、村山、村田、藤村は代理）と、小倉弁護士、会からは吉田事務局長、監事の山北、理事の林田、小河が参加して問題点と緊急支援の対策について議論したが、会長不在のためまとめるまでに至らなかった。<br />　同夜帰国、副会長会議の説明を受け発言した。被害者は〝着の身着のまま〟が救済のポイントと考えると、①教育費より何に使ってもいい「使途自由」、②本会初めての、「貸与」でなく「給付」にすべきである。③「返済不要」と断を下し、直ちに副会長に電話で説明し承認を得た。こうして３・11 から２日後、〝生活〟一時金は日本で一番早く誕生した。<br />　次は制度を知らせることだ。ローラー調査は海なので、神戸のように一軒々々を回る方法は不可能。東北事務所（林田吉司所長と職員６人）より５台の自動車に学生と職員が乗り、３日間、５班に分れて被災地に向かい、避難所、公民館、役場などに生活一時金の制度を知らせるキャンペーン。これも車で回るローラー調査である。７月14日現在、申請者１６３８人。送金額は１４８７人に９億４６５０万円。被害者の実態はわからないが、推定で２０００人まで増えると予想。神戸地震遺児の最低４倍になる。<br />　このキャンペーンは「お知らせ隊」と呼んだが、道なき道を進むのは難行苦行だったが、各地にいる大学奨学生たちが、すぐ集まって手伝い、決めたことをすぐ実施できた。これがあしながが注目され拍手される「スピード決定」に次ぐ「機動力」だ。<br />　大きな団体に寄付してもいつどこでどう使われるかわからない。あしながは、遺児を探し当てる神戸以来のノウハウを持ち、いつも他団体より第一に達成する。木曜日までに申込書が届くと、次の月曜日には銀行送金しているこの速さに信用がさらに増す。今のところ、それにかかる費用はあしなが育英会からしか出さない。超クリーンな会計だ。〝生活一時金〟は、約10億円を支給し終えた。<br />　次の目標は、東北レインボーハウスだが、早くも候補地はほぼ目途がついたが、建設費約30億円も必要だ。海外の募金網も広がってきたし、設計と並行して、目標の２年後には建てたい。建設資金も巨額だが、過去の経験からすると、案外早く集まる予感。<br />　一番根気のいる仕事は、東北人の老若男女を〝癒しのボランティア〟にする壮大な計画。ファシリテーター養成講座をきめ細かく各地で実施する中長期の目標をはずせない。「千年に一度」の津波なら、百年がかりで〝東北人みな癒し人〟を実現したい。そこに東北伝来のやさしい顔と心があるはずだ。<br />　６月には米国ＮＹで、内外30社の世界のマスメディアに記者会見。タイムズスクエア前で、津波遺児らが街頭募金をした。日本の新聞は大きく日本に配信。ニュースの巨人ＣＮＮが何回も何回も世界に配信し続けた。ＡＢＣが追っかけ取材に加わり、今、ＢＢＣ（英）は60年間の人気番組「PANORAMA」でも取材を始めた。日本の小さなＮＰＯは世界の「ＡＳＨＩＮＡＧＡ」になった。外国からの寄付がふえている。35度の暑さの中でＴＳＵＮＡＭＩ遺児５人と学生募金の海野事務局長とＰウォークの櫻井実行委員長と一緒に私も声を張りあげていた。道往くニューヨーカーは陽気でやさしかった。遺児たちも心から顔一杯で微笑んでいた。40年前、同志岡嶋信治君らと東京数寄屋橋で旗揚げ募金をした時のことを想い出し感無量だった。<br />　寄付の申し出も、世界最大の教科書会社で辞書でも有名な「ピアソン社」は、英国のフィナンシャルタイムズ紙で半頁のＡＳＨＩＮＡＧＡの広告を予定している。<br />　９月のダボス会議（ユース部門・中国大連）に津波遺児が招待され、10月には日米有識者会議（米国・ワシントン）に招待されるなど、ＡＳＨＩＮＡＧＡを評価する企画が進んでいる。ＮＹ効果だ。<br />　新しい道を踏みしめて、世界２億人遺児の救済と共生に向けて歩をさらに進めよう！<p style="text-align:right;">（２０１１・７・１４記）</p><strong>※本会機関紙を是非、定期購読ください。お申し込みは、<a href="/about/publicinfo.html">こちらから</a></p>
<br class="clearHidden" />
</div>
]]></description>
<dc:creator xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">あしなが02</dc:creator>
<comments>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-386.html#comment</comments>
<guid isPermaLink="true">http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-386.html</guid>
<pubDate>Sat, 27 Aug 2011 17:55:43 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>駐日英国大使館でのチャリティー</title>
<link>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-344.html</link>
<description><![CDATA[
<div class="newsTextBox">
<div class="column-image-center">
<img class="columnImage" src="http://www.ashinaga.org/archives/002/201105/4ddb747e3c3cf.jpg" alt="" width="400" height="395" />
</div>
<p >　駐日英国大使館大使公邸にて、5月20日、大使館職員有志の方々が企画した東日本大地震・津波復興支援チャリティー「<FONT face="ＭＳ 明朝">東北の利き酒会」</FONT>が開催され、職員とその家族の皆さんら１００人以上が集いました。このチャリティーでの収益金と当日寄せられた寄付は、全額「東北レインボーハウス建設」のための募金として頂きました。<br />　会場には海外国籍の方々が数多く集まり、あしなが育英会・玉井義臣会長が寄付の御礼と「レインボーハウス建設」についてスピーチを述べました。通訳は、帰国中の沼志帆子・ASHINAGAウガンダ副代表が務めました。参加者のなかには、１９９５年に起こった阪神・淡路大震災での遺児・かっちゃん（当時小学校５年）が描いた『黒い虹』についての説明を聞き、すすり泣かれる方もいらっしゃいました。会場全体が東北で親を亡くした子どもたちの心に寄り添ったような場面でした。<br />　またスピーチ終了後、大使館職員の方々がアイデアを出して作ってくださった『あしながおじさんの帽子』に見たてた手作り「募金箱」に多くの方々が駆け寄り、ご寄付下さるとともに、暖かい励ましのお言葉をかけてくださいました。<br />　<STRONG>＜画像＝手作り「募金箱」を受け取る、玉井義臣会長＞</STRONG></p>
<br class="clearHidden" />
</div>
]]></description>
<dc:creator xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">あしなが02</dc:creator>
<comments>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-344.html#comment</comments>
<guid isPermaLink="true">http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-344.html</guid>
<pubDate>Thu, 26 May 2011 11:25:40 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>機関紙「NEWあしながファミリー」１１７号・共生（コラム）☆欲望の減速が地球を救う☆</title>
<link>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-342.html</link>
<description><![CDATA[
<div class="newsTextBox">
<div class="column-image-center">
<img class="columnImage" src="http://www.ashinaga.org/archives/002/201105/4dda1dbdaeb85.jpg" alt="" width="400" height="297" />
<p class="caption">阪神大震災遺児たちも東日本津波遺児のため募金にたった＝３月２３日神戸・元町</p>
</div>
<p >　百年ぶりとも千年ぶりともいわれるこの度の大津波では４万人とも５万人ともいわれる犠牲者を出しそうである。福島原発事故がスリーマイル島やチェルノブイリ原発事故をしのぐかもしれないという恐怖の中で、今日本人も世界の人々も生きている。<br /><br />　学生時代、諸悪の原因は「人口爆発だ」と聞かされた。世の中が便利になり稼ぎがよくなることは、実は資源の先食いや環境の汚染をもたらし、地球と人類を破滅させることだ。わかっていても途上国が便益を求め物質文明を享受することは誰も止められない。<br /><br />　その最たる犯罪者は自動車で、多くの物質（鉄、石油など無限）を蚕食し環境を汚染する。どこへでも早く人と荷物を運べる文明の利器になってしまった。自動車は一万数千点の部品から組み立てられる。その部品をつくる会社は無数といっていい。裾野の広い産業で自動車産業が栄えると各部品産業が活況を呈し、自動車を販売する産業も売れるので、自動車産業を経済成長の戦略産業と呼ぶ。１９６０年代のモータリゼーションこそ日本の経済をいっきに押し上げ、日本の高度経済成長を達成せしめた。その陰の部分として交通事故死傷者１千万人（うち死者２万人前後）を記録した。物の大量生産には光と影があることを注目すべきだ。途上国もひたすら後を追う。建物も食物も装飾品などもあくなき欲望が地球上の物を食いつぶす。あらゆる災厄をもたらす大自然の原則に僕ら人間は他の地球家族にも詫びながら、地球の再生をはからねばならない。<br /><br />　僕が50年程前、提言した「ゆっくりズム」（減速の哲学）とはこのことだ。欲望を減速することこそ地球を救い、人間や生物が救われる道だと信じ書いた。先日、その本「ゆっくり歩こう日本」（サイマル出版会）はアマゾンドットコムで買ったら定価の４倍になっていた。地球の人類や日本の前途に警告する本を、学生たちに読んでほしい。<br /><br />　いまの日本は飽食の一語に象徴され、何もかもハラ一杯にならぬと満足しない時代はゆっくりズムで身のほどの国にならないと滅亡が早まる、と僕は真剣に憂慮している。<br /><br />　救済活動と共に考えるべき時だと思う。<p style="text-align:right;">（２０１１・４・２８記）</p><strong>＜お詫び＞東日本大地震、福島原発事故で次々出版予定が遅れ、〝号外〟という形で救援の様子を活写しました。</strong>※本会機関紙を是非、定期購読ください。お申し込みは、<a href="/about/publicinfo.html">こちらから</a></p>
<br class="clearHidden" />
</div>
]]></description>
<dc:creator xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">あしなが02</dc:creator>
<comments>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-342.html#comment</comments>
<guid isPermaLink="true">http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-342.html</guid>
<pubDate>Mon, 23 May 2011 17:55:43 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>トルコ共和国・コジャエリ大学で基調講演</title>
<link>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-335.html</link>
<description><![CDATA[
<div class="newsTextBox">
<div class="column-image-center">
<img class="columnImage" src="http://www.ashinaga.org/archives/002/201105/4dd0e262eedb3.jpg" alt="" width="400" height="269" />
</div>
<P>　玉井義臣会長は、5月8日～13日、トルコ共和国を訪問。コジャエリ大学で「基調講演」を行いました。コジャエリ大学のあるイズミット市は、イスタンブールから約90キロ南東に位置し、1999年の震災で大きな被害を受けました。トルコからは、この4月にあしなが育英会の支援を受け震災遺児のゴクテミ・エリフさんが早稲田大学に入学。今後、「震災遺児留学生」の受け入れを継続し、また日本の遺児大学生をトルコへ派遣するため、コジャエリ大学から玉井会長が招待を受け、講演が実現しました。</P><P>　10日には、コジャエリ市長を表敬訪問、大学では学長と面談し協力関係を約束した協定書に調印しました。基調講演はその翌日、経済学部と教育学部でそれぞれ90分行われました。経済学部では主にあしなが運動の歴史、教育学部では40年間の独自の教育哲学について講演しました。</P><P>　トルコ人学生たちの様子は真剣そのもので、とくに亡き妻・由美さんとの&ldquo;出会いと別れ&rdquo;の話に、会場は水を打ったように静まり返り、大学職員も含め聴講した皆さんが深く感動してくださいました。両学部合わせて合計300人の学生が聴講し、「基調講演」は盛況で終了しました。</P><P><STRONG>＜画像：講演あと、コジャリ大学経済学部の学生たちにかこまれ質問をうけた。真中＝今回、招待や講演の手配をしてくださった教育学部長のキシャリ・ユヌス教授＞</STRONG></P>
<br class="clearHidden" />
</div>
]]></description>
<dc:creator xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">あしなが02</dc:creator>
<comments>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-335.html#comment</comments>
<guid isPermaLink="true">http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-335.html</guid>
<pubDate>Mon, 16 May 2011 18:41:51 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>機関紙「NEWあしながファミリー」号外・共生（コラム）☆遺児の力とあしながさんの善を愚直に☆</title>
<link>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-333.html</link>
<description><![CDATA[
<div class="newsTextBox">
<p >　ついに一番恐れていた奨学生の死が判明した。Ａ君 ―仙台市に住む高校１年生。<br /><br />　◆４月14日15時現在、死者１万３４５６人、不明１万４８５１人。<br /><br />　記録が大きいからといって、一人の死を数字で片付けるべきでない。Ａ君を知る人びとの言。「彼は初めてのつどい参加にしてはとても社交的で、郷里仙台が大好き。つどいの最後の夜の缶トーチの時は声をあげて泣いていた。今年のつどいで成長した彼を見るのが楽しみだったのに…」（つどいシニアリーダー、当時大２・Ｂさん）。「僕らが親しくなったのは互いに剣道に打ち込んでいたから。秋田と宮城の代表となって東北大会で闘おうと約束しました。夢であってくれたら…と」（当時高１・Ｃくん）。<br /><br />　林田理事・富樫職員・大学奨学生４年のＤで弔問（４月９日）。お母さんは「２回目のつどいを楽しみにしていた。普段は部活をしてから帰っていたが、その日は補講で下校が遅くなり、帰り道で地震にあった。いったん地元の中学校に避難したが家族のことを心配し、周囲の制止を振りきって自宅に向かったようだ」と、やっと語ってくれた。<br /><br />　さらにたった今、宮城県農業高校２年のＥ君も亡くなっていたと急報が入る。合掌<br /><br />　３月11日、僕はあしなが１００年計画の調査で外国出張していた。着いてテレビをつけるなり、ＣＮＮもＣＴＴＶも絶え間もなくＮＨＫの映像をつかい津波実況のみ。と、東京から電話「すぐ帰れ」。ウガンダ事務所にも顔を出せず、13日帰国。成田空港からすぐ東京事務所へ。その日、副会長ら同志が昼間、問題点を議論し、僕は僕で機中で考え続けた。<br /><br />　神戸では瓦礫の中から親子のご遺体が出てきた。津波はねこそぎもっていく。これでは生活できないと思い、第１に０歳から大学院生までの生活を支援する「特別一時金」を即決した。「返済不要」で「０歳児でも」というのは、僕らのような任意団体でないと、行政の〝邪魔〟〝ご注意〟が入りなかなかできない。<br /><br />　僕は教育費より、下着１枚、食べ物、家の修理代が命綱になることを知っている。一日も早く被災者を探し、来訪し、使ってもらいたい。国や地方自治体ではできないことだ。４月14日現在、申し込みが３４７人。スピード断行はどうやら好評である。<br /><br />　これからすることは、第２に、東北レインボーハウスの建設だ。神戸のものは、歩いてこられる遺児の心のケアでまずまずの〝点〟のケア。東京百草のは飛行機ででも家族ごと呼べる“線”に。<br /><br />　今度の東北レインボーハウスは、センター的な虹の家とともに被災の多かった数か所に次々と一人で守れる小さなサテライト（号外特集２面参照）をつくり、 箱物でなく、ファシリテーター（心のケアのボランティア）を大量に育て、社会をやさしくすることを目指す。すべての人がケアに関わる、幅の広い“面”のケアを理想形にしたい。<br /><br />　将来的には、運営も地元の方々にお任せする。東北人の前で大阪人が話したらぶちこわしだ。土地の文化を、より「やさしく」再生することで、土地の人が“面”のケア文化を醸成してほしい。日本人がやさしさを取り戻したら、ケアの半分以上は達成されたようなものだ。<br /><br />　けっして夢物語とは思っていない。あしながさんや世界の善意の人びとに見守られて成長した遺児の力を結集し時間をかけてやっていく。遺児諸君、きみはひとりじゃない！<br /><br />　信ずべき善を愚直に。<br />　あくまで愚直に。　（２０１１・４・10、14記）<br />※本会機関紙を是非、定期購読ください。お申し込みは、<a href="/about/publicinfo.html">こちらから</a></p>
<br class="clearHidden" />
</div>
]]></description>
<dc:creator xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">あしなが02</dc:creator>
<comments>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-333.html#comment</comments>
<guid isPermaLink="true">http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-333.html</guid>
<pubDate>Sun, 15 May 2011 14:03:02 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>テレビ東京「カンブリア宮殿」―『40数年前、“匠の手”上山脳外科医(当時17歳)の進路を決めさせた１冊の本』</title>
<link>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-316.html</link>
<description><![CDATA[
<div class="newsTextBox">
<p >　人生長生きしていると、思わぬことに遭遇するものです（本年77歳）。でも、いろんなことに驚き楽しんできた私が、こんなにびっくりしたことはない。瞬間固まってしまった。そして、じわりと喜びが走り、広がっていくのを快く感じてました。みなさんはすでにご存知かと思いますが、いま日本人の死因でがん、心疾患に次いで3番目をしめる「脳卒中」。現在150万人以上の患者がいるとされています。その中でも、深刻な病を抱えた、手術不可能と宣告された患者が、1人の医師を頼って集まるという。<br /><br />　上山博康・脳神経外科医。旭川赤十字病院・脳卒中センター長。<br /><br />　年間500件以上の手術をこなす。平均睡眠時間4時間の生活を30年続けられているとか。海外出張して手術されることもあります。患者は彼を“最后の砦”といい、人々は彼のウデを“匠の手”と呼びます。</p>
<div class="column-image-left">
<img class="columnImage" src="http://www.ashinaga.org/archives/002/201104/4dae488660f82.jpg" alt="" width="190" height="285" />
</div>
<p >突然、ＴＶ局から電話がかかってきました。<br /><br />　「高名な脳外科医・上山博康さんは、玉井さんの書かれた論文を40数年前の夏に読まれて医者になる決心をされたそうです（当時氏は17歳）。そのとき掲載された雑誌を<a href="http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/yokoku.html">番組『カンブリア宮殿』（テレビ東京系列／村上龍・小池栄子司会。2月24日（木）22：00－22：54放送）</a>で撮影させてほしい」との依頼でした。即座にＯＫしたのは当然ですが、とたんにおしりがむずむずしました。「光栄なことです」。<br /><br />　というより、1年半かけて書いたのは、交通事故で惨死した母親（当時74歳）の36日間の昏睡状態（植物状態）ののちボロ布のように死んでいった母親の最期。病院で看取ったときの、早朝の光を想い出していました。</p>
<div class="column-image-center">
<img class="columnImage" src="http://www.ashinaga.org/archives/002/201104/4dae48866ea41.jpg" alt="" width="400" height="368" />
</div>
<p >　当時28歳の私は売れない“もの書き”をしながら、無頼の生活をしていました。そんな私を母は死の鉄槌をもって戒めました。よほどこたえたのか真人間になって、36日間の病室の対話の中で、「お母ちゃん！　このカタキ必ずボクが取ってやる！」と母に約束したように、毎日毎日必死に病院をまわり取材しました。母がいた病院の主治医と話していると、恐るべきことを聞きました。「日本には年間80万人ほどの交通事故の死傷者がいるのに、脳外科医は200 人しかいません。それも大学病院と大病院に偏在しています」。関西ではＮｏ.1の名声高い、大阪大学医学部出身の医者とはいえ、先生の方が悔しい思いをされていたことでしょう。母は危篤といわれながら全く死ぬ気配がなく、医師はＸ線写真をもって母校の教授に意見を求めてくれました。その教授も脳外科医ではなく頭部外傷の手術の経験はゼロでした。私たち家族は手術に頼みの綱をかけました。主治医は教授に聞いてきたとおり未経験のまま手術をしてくれました。手術後の母の両耳の上3～5センチ上にゴム管が1本ずつ出ていました。手術後すぐ高熱が出て、3日後、動物のようなうなり声をあげて死んでいきました（「亡くなる」という表現では違和感があります）。<br /><br />　それから1年間、病院で頭部外傷の勉強と取材。自賠責保険の取材に没頭。当時、交通事故の負傷者には30万円までの治療費が保障されていたので、「マチ医者は30万円を使いきるまで治療し、あとは大病院、国立病院にたらい廻しされる」という噂がもっぱらでした。私は、東大の医師でアメリカで脳外科の修業をされ日本での事実上の脳外科医第1号と呼ばれた、東大脳神経外科の佐野圭司教授（当時）の話を聞くと同時に、手術室で白衣を着て取材させていただきました。なぜ交通犠牲者は救われていないか、わかってきたような気分になった頃、近藤駿四郎医博（東大脳外科講師を経て東京労災病院長。故人）に論文を読んでもらいました。近藤先生は一読するなり、こう言われた。「玉井君、こんな表通りだけ取材していては現実は見えないよ」と一刀両断。力を奮い起こして、また半年近く取材して書き上げたのが、“匠の手”上山先生の目にとまった、拙稿「交通犠牲者は救われていない―頭部外傷者への対策を急げ―」（朝日ジャーナル1965、Vol.7　No.29　7.18）だったのです。</p>
<div class="column-image-center">
<img class="columnImage" src="http://www.ashinaga.org/archives/002/201104/4dae48868f1c3.jpg" alt="" width="400" height="312" />
</div>
<p >その後、40数年、私は上山博康先生のことは知らず、ＴＶ局の電話で知りました。無性に嬉しかった。光栄だとも思いました。私の論文の骨子は、「交通事故死の7割はアタマをやられている。だが、そのうち3割は、脳外科医の不足や、救急体制の不備のために“犬死に”している。この“犬死に”をなくし、同時に後遺症の悩みを解決するために脳外科医を増やせ」。<br /><br />　これで私は交通評論家第1号（朝日新聞）と呼ばれるようになりました。後日、取材ノートを含め、弘文堂から「交通犠牲者」（絶版）として上梓、マスコミを通じ大々的に報道されました。<br /><br />　今週２月24日の「カンブリア宮殿」で、上村先生とＴＶを通して初対面する私は、今すごく興奮しています。ワクワクしています。興味ある方、どうぞご一緒にＴＶを見ましょう。<br /><br />　<strong>※このブログを書いた後、上山博康先生に近影のお写真をを拝借すべく、お願いしましたところ、ご丁重なご返事とお写真がすぐ送られてきました。</strong><br /><br />＜上山先生のコメント＞　私の人生を決めた記事を書いた玉井先生とこのような形で遭遇できたのも、何かの縁なのでしょうか？　ブログに掲載していただけること、光栄に思います。早速、写真を添付します。<br /><br />　上山博康<br /><br />＜玉井義臣のお礼のことば＞　早速、お写真をお送りいただき、ＴＶより先にご対面となりました。とてもうれしく光栄に存じます。ますます「カンブリア宮殿」の『北の医療に警告！　北の大地の天才脳外科医』を観るのが楽しみになりました。あしなが育英会の学生、あしながさん、関係者のみなさんに最後の瞬間まで宣伝させていただきます。「感想文」も学生から募るつもりです。どうもありがとうございました。</p>
<br class="clearHidden" />
</div>
]]></description>
<dc:creator xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">あしなが02</dc:creator>
<comments>http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-316.html#comment</comments>
<guid isPermaLink="true">http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-316.html</guid>
<pubDate>Wed, 23 Feb 2011 11:41:09 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
