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ウガンダのエイズ遺児 早稲田大学に合格 ~Dreams come true!~

2006年04月01日 [世界の遺児]

「スゴイ! スゴイ! スゴイ! エチロート チトゥ ケリラ(夢は叶うわ)!」。05年12月16日、早稲田大学国際教養学部の合格発表を聞いた瞬間、ナブケニャ・リタさん(19)は日本語交じりで喜びを爆発させた。母親のナニョンガさん(35)は、娘の快挙に声を震わせ神に感謝した。そして合格の知らせを仲間は皆、固唾をのんで待っていた。アフリカの朝焼けに彼らの声がこだました。「おめでとうリタ!」「おめでとう!!」

アフリカ・ウガンダ共和国、ナンサナ村。首都カンパラから車で10分も走れば端から端に着いてしまう小さな村。そんな村に千人を超えるエイズ遺児らが暮らす。リタさんもその1人。この村で彼女は生まれ育ち、7歳の時、父親のルークさん(享年30歳)をエイズによって失った。

「エイズは多くのものを奪っていきました。父、お腹一杯食べられる生活、それから一番大切な希望も…。1杯のお茶しか飲めなかった日、泣きました」

エイズ遺児のほとんどが極貧と闘っている。加えて、母子感染の恐怖や差別、いじめ(リタさんはHIV検査で陰性。感染していない健康児)。「僕たちも同じ人間です」。4年前、初めてエイズ遺児が日本を訪れた時、当時15歳のロナウド君が訴えた言葉だ。


そんな彼らも、2年前、村に『ASHINAGAウガンダ』ができてから少しずつ変わってきた。夢を語るエイズ遺児が増えた。「大学へ入ること、それが私の夢です」。日本語教室に来るようになったリタさんは、かつて私に語った。

「小学校さえ行きづらい私たちにとって、大学など夢のまた夢」。実際、これまで高校を卒業したエイズ遺児は村で彼女たった1人。

リタさんが高校まで進学できたのは、ひとえに母親のナニョンガさんのお陰だった。15人兄妹の下から2番目に生まれたナニョンガさん。貧しくて中学校までしか通えなかった。夫を失い職を探した時、清掃員ですら、高校を卒業していないと就けなかった。「だからどんなに貧しくても、リタたちには高校を卒業させようと決心しました」。

同じくエイズ遺児でリタさんの親友、シルビアさん(19)は「リタは頭が良く、努力家。私たちの誇り」と話す。昨年7月、リタさんは第一志望の国立大学に合格した。しかし、期待していた奨学金の受給資格を取れなかった。

「方々手を尽くして『進学をあきらめるしかない』とわかり、母と泣き崩れました。結局、エイズ遺児に夢をかなえることなど無理。貧しさの前には、努力も意味が無い…」

リタさんだけでなく、他の遺児もそんなあきらめがあった。そんな時、「日本の大学を受験してみないか?」という話を虹の家で受ける。初めは躊躇した。でも「やらせてください! きっとこれが最後のチャンス」。必死の思いで応募した。


12月3日、日本で面接審査に臨む前に大学で何を学びたいか彼女に聞いた。「当初は、ただ合格することだけが目標でした。でも今はエイズや貧困で苦しむ遺児たちがどうしたら希望を持てるかを探求したい」。リタさんのチャレンジは、もはや一人のものではない。

「エチロート チトゥ ケリラ(夢は叶うわ)!」。日本の大学合格を大勢のエイズ遺児後輩らに報告した時、リタさんは先ず言った。

「私は最初で最後の留学生ではありません。きっと皆さんと日本で会えるはず。努力を続けてくださいね」。結びの言葉は、割れんばかりの喝采を浴びた。拍手は彼女にだけではなく、後輩や世界の遺児の未来にも向けられていた。05年1月、『あしなが国際遺児のキャンプ』に参加したジュリアス君(15)は、「僕の夢も日本で勉強すること。半信半疑だったけど、今なら信じられる。頑張れば
彼女のように夢を叶えられる」。

『光り輝く希望』は、彼女たちエイズ遺児自身の苦しみから生まれでた。リタさんはウガンダ、アフリカ、そして全世界の遺児の希望の星になれる!!

(ウガンダ虹の家・佐藤弘康記者)


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