あしなが運動の歴史
OUR HISTORY
被害者がつくり、「恩返し」の心が育てた
あしなが運動
あしなが運動の原点は、2つの痛ましい交通事故でした。
1961(昭和36)年、新潟で岡嶋信治(本会名誉顧問)の姉と甥が酔っぱらい運転のトラックにひき殺され、初の殺人罪が適用された交通事故。
1963年には、玉井義臣(本会会長)の母が暴走車にはねられ、1か月あまり昏睡状態の末、亡くなりました。
岡嶋は1967年に「交通事故遺児を励ます会」を結成。まもなく玉井を相談役に迎えて本格的に遺児救済のあしなが運動が始まり、1969年には財団法人交通遺児育英会が発足しました。
「恩返し運動」の始まり。
街頭募金や継続的にご寄付をくださるあしながさんに支えられて進学できた交通遺児たちが、「恩返し運動」として1983年に災害遺児の奨学金制度をつくる運動を始め、1988年に災害遺児奨学金制度が開始。
さらに災害遺児が病気遺児の奨学金制度づくりを呼びかけ、1993年の病気遺児奨学金制度開始に合わせて、
あしなが育英会が誕生しました。
1995年1月17日、阪神・淡路大震災発生。直後から新聞記事や住宅地図を頼りに、遺児学生たちは震災遺児の所在捜しに奔走する。
阪神・淡路大震災遺児の心のケアの拠点の完成
1999年には、阪神・淡路大震災遺児の心のケアの拠点「神戸レインボーハウス」が世界中からの支援を受けて完成。同年、コロンビア・トルコ・台湾で立て続けに大地震が発生し、神戸の震災遺児たちが「恩返しをしたい」と支援を呼びかけたのが海外の遺児支援活動に発展していきました。
世界の遺児の中でも特に困難な状況にある、アフリカの子どもたちへの支援が提案され、2003年アフリカ・ウガンダに「ウガンダレインボーハウス」を建設。2007年からは読み、書き、計算の勉強をする「テラコヤ教室」も始まりました。
2012年には、将来アフリカに戻り母国の発展に寄与する若者を世界の大学へ進学させる「あしながアフリカ遺児高等教育支援100年構想」を正式に公表し、遺児支援は一層広がり続けています。
JR大船渡駅で息をのむ大学奨学生。見渡すかぎりがれきの山が広がっていた(2011年4月14日撮影)
2011年の東日本大震災発生後には、被災地の避難所を訪ね遺児を探しました。0歳から大学院生までの2083人の遺児に対して、返還不要の特別一時金(1人あたり約282万円)を給付しました。また仙台市、石巻市、陸前高田市で震災・津波遺児のための心のケアの拠点「東北レインボーハウス」を運営し、継続的に遺児・保護者のケアプログラムを行っています。
2020年の新型コロナウイルス感染拡大に際しては、コロナ不況により減収した遺児家庭の窮状を救うため、全奨学生に対して、ひとりにつき15万円の「遺児の生活と教育の緊急支援金」を給付しました。
あしなが運動年表
1961年 | 岡嶋信治(本会名誉顧問)の実姉と甥が酔っぱらい運転のトラックにひき逃げされ死亡。朝日新聞「声」欄にその怒りを投書。その投書に131通の激励の手紙。文通続く |
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1963年 | 玉井義臣(現あしなが育英会会長)の母が交通事故で意識不明になり、翌年昏睡状態のまま死去 |
1967年 | 岡嶋と玉井が二人三脚で初めての街頭募金を実施、育英会設立資金の原資となる |
1969年 | 「財団法人交通遺児育英会」設立。同年高校奨学金貸与開始 |
1970年 | 第1回全国学生交通遺児育英募金(現あしなが学生募金)を実施 「高校奨学生のつどい」開始 |
1978年 | 交通遺児育英会学生寮「心塾」開塾 |
1979年 | どこかの誰かが遺児たちへそっとお金を送る「あしながさん寄付制度」開始 |
1982年 | 「ありがとうあしながおじさん、交通遺児の恩返し献血運動」実施 |
1984年 | 交通遺児たちが「災害遺児の高校進学をすすめる会」を結成 |
1988年 | 「災害遺児の高校進学をすすめる会」が災害遺児向け奨学金貸与開始 |
1990年 | 第1回「あしながPウォーク10」実施 |
1992年 | 災害遺児たちが「病気遺児の高校進学を支援する会」を結成 |
1993年 | 病気遺児への奨学金貸与開始と共に「災害遺児の会」と「病気遺児の会」が合併し、「あしなが育英会」設立 |
1995年 |
阪神・淡路大震災発生 あしなが奨学生が全国で震災遺児激励募金実施 |
1999年 | 日本初の遺児のための心のケアの拠点「神戸レインボーハウス」(兵庫県神戸市)竣工 あしなが育英会学生寮「虹の心塾」(「神戸レインボーハウス」に併設)開塾 |
2000年 | 第1回「国際的な遺児の連帯を進める交流会」開催 |
2002年 | ウガンダ共和国に国際NGO「あしながウガンダ」事務所開設 |
2003年 |
ウガンダレインボーハウス竣工 エイズで親を亡くしたアフリカ遺児に心のケア開始 |
2006年 | 「あしながレインボーハウス」(東京都日野市)竣工 あしなが育英会学生寮「あしなが心塾」(「あしながレインボーハウス」に併設)開塾 |
2010年 |
「あしながアフリカ遺児高等教育支援100年構想」発表 |
2011年 | 東日本大震災発生 被災した遺児2083人に対して1人あたり282万円の緊急特別一時金を給付 |
2012年 |
小説「あしながおじさん」出版100年目に、ウガンダ・マケレレ大学講演の場で「あしながアフリカ遺児高等教育支援100年構想」を内外に公表 |
2014年 | 東北初の遺児のための心のケアの拠点「東北レインボーハウス(仙台市・石巻市・陸前高田市)」完成 |
2018年 | 給付型奨学金制度を開始 「京都志塾」建設構想を発表 |
2019年 | あしなが育英会を一般財団法人化 |
2020年 | 新型コロナウイルス感染拡大を受け、第100回あしなが学生募金の街頭募金を中止 コロナ禍で困窮した遺児家庭を支えるため、全奨学生に対して1人あたり15万円の「遺児の生活と教育の緊急支援金」を支給 |