アフリカ遺児の教育支援事業
OUR WORK IN AFRICA
あしながはアフリカでも
支援を広げています
あしなが運動は交通から災害、病気、自死遺児に拡がり、2000年頃から日本国外にも運動を拡げました。1995年1月に阪神・淡路大震災が発生し、573人の子どもが遺された際には、世界150か国から寄付が集まった結果、1999年1月に遺児の心を癒す「虹の家」を神戸に完成させることができました。その年は、コロンビア、トルコ、台湾で立て続けに大地震が発生。あしなが育英会は世界中から受けた支援への恩返しとして街頭募金を実施し、募金と共に神戸の経験とノウハウをそれぞれの被災地に届けました。
そして、2000年8月、コロンビア、トルコ、台湾の震災遺児らを日本に招き、阪神大震災遺児も参加して、第1回「国際的な遺児の連帯をすすめる交流会(国遺連)」を行いました。この国遺連は2007年夏までに8回実施し、最後は20か国地域から100人の遺児を招待し、日本全国の本会奨学生と交流しました。世界中でHIV/AIDSで命を失う人が急激に増え続けていたのも2000年頃。当時エイズで親を亡くした子どもが世界でもっとも多い国のひとつがウガンダでした。
そこで、あしなが育英会は現地に入り、我々が培ってきた心のケアの支援方法をウガンダのエイズで親を亡くした子どもたちに役立てることができないか調査しました。その後、日本で募金活動を行い、2003年12月にウガンダの首都カンパラ近郊のナンサナという町にウガンダレインボーハウスが完成。2006年4月にはレインボーハウス出身のリタさんが早稲田大学に進学。
その後、リタさんの背中を追って、50人近くの後輩たちがレインボーハウスから日本の大学への進学を果たしました。そして、あしなが運動を本格的に世界に拡げるため、2014年に「あしながアフリカ遺児高等教育支援100年構想」をスタートし、活動をウガンダからサブサハラアフリカ全土に拡げました。
活動紹介
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