お知らせ

NEWS

  1. ホーム
  2. お知らせ
  3. ニュース
  4. 玉井会長に後藤新平賞

玉井会長に後藤新平賞

2018.08.01

ニュース

青山・後藤新平の会代表幹事から副賞のステンドグラスを受け取る玉井会長
(7月7日、日本プレスセンターABCホール 渋谷敦志撮影)


百年先を見据えた大構想で関東大震災からの復興など日本の社会基盤構築に巨大な足跡を残した後藤新平を記念する「後藤新平賞」(後藤新平の会主催、読売新聞社後援)の第12回受賞者に玉井義臣本会会長が選ばれ、7月7日、東京・日本プレスセンターで授賞式が行われた。


青山佾(やすし)選考委員長(明治大学公共政策大学院教授、元東京都副知事)は、「玉井さんは半世紀にわたり多くの青少年に勉学の機会をもたらし、教育者として大きな貢献を重ねてこられた。壮大な構想と実行力は百年先を見据えて事業をおこなった後藤新平の思想と行動にも通ずる」と選考理由を述べた。

受賞講演で玉井会長は、母親の交通事故死から始まった半世紀を超す「あしなが運動」の歴史を語った後、後藤新平の言葉を引いて「新平翁曰く、『金を残して死ぬ者は下なり、仕事を残して死ぬ者は中なり、人を残して死ぬ者は上なり』。私もアフリカの大地を発展させる人材を育てたいと望んでおります」と、「アフリカ高等教育支援100年構想」への決意を述べて締めくくった。


副賞「いのちを見守る」

「あしながおじさん」の物語には父の長い脚を見上げるような、幼い遺児が抱く安心感が描かれています。玉井義臣氏は何かの事情で親を亡くした子どもたちが、大人へと成長してゆく過程を支援してこられました。生きてゆくための生活の糧が、子どもたちのいのちを育んできたのです。私たちは、未来への限りない信頼を育む氏の功績を讃え、副賞のステンドグラスの作品を「いのちを見守る」と命名いたしました。多くの方々の見えない支援が支える、一人ひとりの生活を顕しています(一部略)。
岸 哲也(ステンドグラス作家)ステンドグラス制作、内田純一(建築家)コンセプト+台座制作、藤原良雄(後藤新平の会事務局長)アートディレクション


後藤新平賞 歴代の受賞者


受賞年度 受賞者
第1回(2007年度) 李 登輝(台湾・元総統)
第2回(2008年度) 鈴木俊一(元・東京都知事)
第3回(2009年度) 緒方貞子(JICA理事長)
第4回(2010年度) 安藤忠雄(建築家)
第5回(2011年度) キャロル・ビーベル(米・アシェ文化芸術センター創立者)
第6回(2012年度) 細川護熙(元・総理大臣)
第7回(2013年度) 園田天光光(NPO世界平和大使人形の館をつくる会代表)
第8回(2014年度) 石牟礼道子(詩人、作家)
第9回(2015年度) 宮脇 昭(植物生態学者)
第10回(2016年度) 福澤 武(三菱地所株式会社名誉顧問)
第11回(2017年度) 山本保博(東京曳舟病院院長)
第12回(2018年度) 玉井義臣(あしなが育英会会長)

※肩書きは受賞当時。敬称略


選考委員 (敬称略)

  • 青山 佾(「後藤新平の会」代表幹事。明治大学大学院教授。元東京都副知事)
  • 片山善博(慶應義塾大学教授。元鳥取県知事・総務大臣)
  • 加藤丈夫(国立公文書館館長)
  • 橋本五郎(読売新聞特別編集委員)
  • 増田寛也(野村総合研究所顧問。元岩手県知事・総務大臣)
  • 藤原良雄(藤原書店社長。「後藤新平の会」事務局長)





後藤新平(藤原書店提供)


後藤新平(1857-1929)
1857年、水沢(現岩手県奥州市)の武家に生まれ、藩校をへて福島の須賀川医学校卒。1880年(明治13)、弱冠23歳で愛知病院長兼愛知医学校長に。板垣退助の岐阜遭難事件に駆けつけ名を馳せる。83年内務省衛生局に。90年春ドイツ留学。帰国後衛生局長。相馬事件に連座し衛生局を辞す。日清戦争帰還兵の検疫に手腕を発揮し、衛生局長に復す。98年、児玉源太郎総督の下、台湾民政局長(後に民政長官)に。台湾近代化に努める。1906年9月、初代満鉄総裁に就任、満鉄調査部を作り満洲経営の基礎を築く。08年夏より第2次・第3次桂太郎内閣の逓相。その後鉄道院総裁・拓殖局副総裁を兼ねた。16年秋、寺内内閣の内相、18年春外相に。20年暮東京市長となり、腐敗した市政の刷新、市民による自治の推進、東京の近代化を図る「8億円計画」を提唱。22年秋アメリカの政治学者ビーアドを招く。23年春、ソ連極東代表のヨッフェを私的に招き、日ソ国交回復に尽力する。23年の関東大震災直後、第2次山本権兵衛内閣の内相兼帝都復興院総裁となり、再びビーアドを緊急招聘、大規模な復興計画を立案。政界引退後は、東京放送局(現NHK)初代総裁、少年団(ボーイスカウト)総長を歴任、「政治の倫理化」を訴え、全国を遊説した。1929年遊説途上、京都で死去。(藤原書店提供)