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愛してくれてありがとう

妻由美の死は、私の個人的経験であるが、由美との結婚生活と彼女の死は、私の社会運動家としての在り方、ひいては“あしなが運動”の方向性に大きな影響を与えた。母の死の「敵討ち」として始まった私の社会運動は、由美との生活を経て人の「やさしさ」を信じる運動へと変化していった。この物語は私が初めて人を心から愛し、その人を失い、“あしなが運動”の新しい方向性に目覚める、「行きて帰りし物語」である。

 

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来し方を見つめる

 来年、妻由美の三十三回忌を迎える。私もすでに八十五歳になり、人生の最晩年を歩んでいる。これまで私はほとんど人生を振り返ることはなく“あしなが運動”に邁進してきた。トンボの様に、前だけを見つめ、ただただ、走ってきた。いまでもその姿勢は変わらない。だが、現下のコロナ禍という未曾有の事態に、私は働き方の変更を求められることになった。私の感染を心配したあしなが育英会の職員たちが、私の出勤を許してくれないのだ。仕方がないので自宅で仕事をする。事務所にいると寸暇なく相談事や来客があるのだが、自宅で仕事をしているとそういったことがないので、仕事はすぐに終わってしまう。あとは新聞やテレビのニュース番組で社会の流れを読むだけだ。

 そんな折、藤原書店社長の藤原良雄氏から、私が過去に執筆した小冊子『愛してくれてありがとう』に、同時期の“あしなが運動”の様子を加筆修正して本を編まないか、と申し出て下さった。少し迷ったが、私に残された時間もそう長くはない。これを機に私が歩んできた道、“あしなが運動”が歩んできた道の来し方を見つめ、次の世代に残しておく必要があると思い、お申し出を受けることにした。

二つの出発点

 運動家としての私には二つの出発点がある。ご存知の方も多いと思うが、私が交通評論家としてデビューした直接のきっかけは母の交通事故死だ。一九六三年十二月二十三日、暴走してきた車に六メートルも跳ね飛ばされた母は、ろくに治療らしきものもしてもらえず、一ヶ月以上病院のベッドの上で苦しんだ後、明くる一九六四年一月十八日に亡くなった。突然の、予期せぬ母の死に私は激怒した。私は母に「敵討ち」を誓った。そう、私の社会運動はまさしく「復讐」から始まったのである。

 「復讐者」としての社会運動家であった私を変えたのは妻由美の死だった。享年三〇(満二九歳)。頸椎部悪性腫瘍だった。

 由美は短大卒業後、母校で副手を二年務めた後、交通遺児育英会に入局した。お互い惹かれ合っていったが、二十五歳の歳の差は私にとって「神のハードル」と言えるものであった。当時私はこれほど長く生きるものとは思っていない。七〇で死ぬとなると残された由美は四五だ。もしかしたら子どももいるかもしれない。彼女はどうするのだろうか。由美の日記に当時の不安が記されている。

 

「玉井が先に死んでしまう。私ひとりか私共ふたりか三人か知らぬことだが、残される。それでも私は、前向きに生きる。資産としての悲しみを携えて生きる。魂の清浄を感じながら生きる。悲しみ、それは事実あってのもの。」

 

一九八五年、由美の頸椎に腫瘍が発見され、それを機に私は由美との結婚を決意する。十一月十三日、結婚。人を心から愛するということを初めて知った。五年間の結婚生活の後に由美は逝った。結局、資産としての悲しみは由美ではなく、私が携えている。

「愛してくれてありがとう」

私は愛する者を時間をかけて失っていく恐怖と毎日闘っていた。それは由美に少しでも長く生きてほしいという祈りの日々であった。人を愛することを知った私は、人の「やさしさ」を信じることができるようになっていた。由美の死の五年後、私は交通遺児育英会を石もて追われ、あしなが育英会に完全に籍を移した。そのときには私の「復讐心」はどこかに消えていた。由美と共に過ごした日々が、知らぬうちに私から「復讐心」を消し去っていた。もしかしたら、由美は私の「復讐心」を彼岸に持ち去ってくれたのかもしれない。

以後、私は人の「やさしさ」を信じ、人の「やさしさ」を繋いでいくこと、「やさしさの連鎖」こそを“あしなが運動”の根幹と考えるようになった。由美は五年間ガンと闘い、逝った。由美は逝ったが、私と“あしなが運動”に「やさしさ」残してくれた。由美の心は今も常に、私とあしなが運動”とともにある。

この本を年寄りが若くして逝った妻を懐かしむ昔話だと捉える方もおられよう。実際、そういう気持ちもないではない。だが、同時にこの物語は、一人の社会運動家が一人の女性を心から愛し、その女性と五年間の生涯唯一の家庭を持ち、その女性を失い、その女性が残したものを基盤として新しい社会運動に没頭していく「行きて帰りし物語」であり、個人としての玉井義臣を「復讐者」から、人の「やさしさ」を信じることのできる人間にしてくれた女性の物語である。

どうやら紙面も尽きつつあるようだ。最後にあのとき由美に返せなかったこの言葉を亡き由美におくることでこの稿を締めくくりたい。

 

「愛してくれてありがとう」

 

令和二年十二月九日 あしなが育英会本部にて

玉井義臣

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