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保護者インタビューまなざし「一生懸命生きるから感動がある」

保護者インタビューまなざし♯39 サキオさん(60代 関西圏)

サキオさんには、先天性の骨の病気がある。6歳から現在までに70回以上の外科手術を受けてきた。36歳で鍼灸院を開業し、その後結婚。現在は3人の子を育てる父親だ。重度の障がいがありながらも、その人生は驚きと感動に満ちている。京都大学医学部に合格するも、医師への道を断念して鍼灸師へ。強盗と3回格闘した経験もある。長時間労働は難しく、体調によっては働けない日もあるが、「一生懸命生きていると、感動する瞬間がある」というサキオさんの半生をうかがった。

 

※あしなが育英会は、病気・災害・自死で親を亡くした子どもだけでなく、親が障がいで十分に働くことが困難な家庭の子どもも支援しています。

病名すらなかった難病

サキオさんの病気は、先天性骨形成不全症という。骨は、新しい骨を作る骨芽細胞と、古い骨を溶かす破骨細胞の働き(骨代謝)によって、日常的に作り替えられているが、そのバランスが悪いことで起こる病気だ。生まれた時から骨が柔らかく、自分の身体を支えることができなかった。60年前は、日本ではまだ病名すらついていない、珍しい症状だった。

「どこの病院にいってもよく分からないし、赤ん坊の骨は柔らかいので些細なことで折れてしまい、検査を受ける度にどこかを骨折して、障がいが重症化しました」

ようやく京都大学系列の病院で、本格的な治療とリハビリを始められたのは6歳の時だった。それまで、病院をたらいまわしにされ、その度に骨折を繰り返して障がいが重症化したわが子を見てきた母親は、医療に対して強い不信感を抱くようになっていた。

「私の主治医となった先生は、『この子は、私が生涯面倒みるから』と言い、治療を続けるよう母を説得してくれました。15歳までは生きることができないだろうと言われていた私が、現在までこうしていられるのは、本当にその先生のおかげです」

乳児、幼児の頃に骨折しすぎて変形した骨を真っすぐに整える手術、骨の成長に合わせて行われる手術、骨折などにより機能しなくなった関節を再生する手術など、受けた手術の数は70を超える。


「その先生は『いっぱい手術してごめんな』と、いつも手術室で私に謝ってくれました。後に私が医学部を目指したのは、この先生にあこがれてのことです」

当時サキオさんが入院していた病院には、小学生に勉強を教える院内学級はなく、サキオさんは学校へ行ったことがないまま11歳まで成長した。

勉強の楽しさと挫折と

サキオさんは、1歳の時に父親を亡くした。母親はサキオさんと2人の兄、2人の姉という5人の子どもを、働きながらひとりで育てた。病院にいるサキオさんに勉強を教える余裕もなかったことから、サキオさんは11歳まで読み書き計算ができなかった。

「ある日、引退した教員の方がボランティアで絵本の読み聞かせに来てくれました。私に、『くじらぐも』(中川李枝子作)と、『スーホの白い馬』(モンゴル民話 大塚勇三・赤羽末吉編)を朗読してくれました。感想を聞かれたとき、私はその2つの話を、最初から最後まで暗唱してから感想を述べました。すると、その方は大変驚いてくださって。『自分では、本を読めないんだ』と伝えると、もっと驚かれました」

その方の強い働きかけにより、サキオさんは手術と手術の合間は退院して、地元の小学校へ通うことになった。当時11歳だったので、いきなり6年生のクラスに編入させられたが、サキオさんは、真綿が水を吸い込むように、1年間で小学校課程の全てを習得した。

「自分で本を読めたときの感動は、今でも忘れません。平仮名もカタカナも漢字も、あっという間に覚えてしまいました。学校は段差も階段もあるし、通うのは簡単ではなかったけれど、行きも帰りも担任の先生の車に乗せてもらって、階段も先生がおぶってくれて、何とか通い続けられました。放課後は先生の仕事が終わるまで職員室で勉強しながら待っていて、それが塾と同じような効果になったのかなぁ。学力を身につけることができました」


image※イメージ画像

 

入退院を繰り返しながらも、サキオさんは高校まで地元の学校に通うことができた。将来は主治医のような整形外科医になろうと、必死で勉強した。そして、進学校で有名な高校へ入学。ついには、国立京都大学医学部の合格をつかみ取った。

「6歳の頃から主治医をつとめてくださった先生は、父親のような存在でした。私のことを『ぼん』(関西弁でいい家の坊ちゃん、若旦那の意味)と呼んで可愛がってくださいました。その先生に、京都大学から届いた合格通知を持って、報告に行ったのです。どれほど喜んでくれるだろう、ほめてくれるだろうと、期待していたのですが、予想に反して先生の顔は曇っていました。そして、目の前で、その合格通知をまっぷたつに破ったのです」

主治医は、「ごめんな」と謝ったのち、「今の医学界は、君ほどの重度の障がい者は受け入れないだろう。いずれ、壁に当たる。いずれ、悲しい思いをする。もっと、患者に寄り添って働ける仕事につきなさい」と、サキオさんを諭した。

2001年に、医師法の欠格条項が見直されてからは、全盲の医師・守田稔や、四肢障がいを持つ医師らも誕生したが、サキオさんが合格した1980年代には、前例もなく、障がい者を受け入れる環境は整っていなかった。しかも、サキオさんが目指した整形外科医は、緻密な技術と体力が要求される分野なので、サキオさんの身体では難しいだろうと、主治医は分かっていたのかもしれない。

「医師になることを目指していたから、落胆は大きかったです。でも、鍼灸の勉強をして鍼灸師になったことは、後から考えると良い選択だったかもしれません」

四国の鍼灸学校は成績優秀で学費免除だった。鍼灸学校でもまた、素晴らしい師匠と出会うことができた。

障がい者とわかってやってくる強盗

鍼灸学校で学んでいた20代半ばのころ、初めて盗難の被害にあった。当時は、杖をつきながらゆっくり歩くことができたのだが、いきなり背後からリュックサックをひったくられ、転倒した。

「ひったくりは弱者を狙ってきます。リュックの中には鍼灸学校の基礎医療の教科書が入っていて、それを取られたのは痛かったです。とても高い本で、古本屋でようやく見つけて買ったものでしたから」

 

サキオさんは、これ以降現在までに、3度も強盗と格闘する場面があった。

「最初は、鍼灸院を開業して間もなくのことでした。30代後半です。当治療院は駅から歩いて10分ほどの静かなところにあります。母と住んでいた自宅の1階を診療室に改築しました。そこにいきなり男があらわれて、『金を出せ』と言ったのです。強盗は、私がひとりになる時間を見計らっていたようです」

驚きに立ちすくんでいると、奥の部屋からサキオさんが飼っていた介助犬が猛スピードで走ってきた。1.5メートルの高さがある受付カウンターと、サキオさんの頭上を飛び越えて、猛然と強盗に飛びかかった。40キロの体重があるラブラドールレトリバーに上から飛びつかれ、強盗は転倒した。普段は決して吠えない犬が激しく吠えたため、3軒隣りの消防署から消防士が駆けつけてくれ、男は取り押さえられた。

「普段は本当におとなしい介助犬が、どうしてその男が強盗だとわかったのかは謎ですが、すごい勢いで飛びついてくれたのです。でも、その一件があって、犬は介助犬の資格をはく奪されてしまいました。決して人に飛びついたりしないのが介助犬ですから。犯人逮捕に貢献しても、だめでしたね。今となっては笑い話ですけれども、犬とふたりで訓練所に入り直して、資格を再取得したんですよ」

その数年後、サキオさんが結婚したことで、妻を飼い主として、引退した介助犬を引き続き飼育することが許された。その犬は最期まで、サキオさんや老齢の母親の面倒をみてくれた。

2度目の強盗遭遇は、訪問治療に出かけた先だった。寝たきりの老人を横目に、強盗が今まさに家の中を物色しているところに鉢合わせしてしまったのだ。
「逃げる、という選択肢もあったのかもしれませんが、反射的に、往診バッグを投げつけて、杖で強盗に向かっていました」


強盗と格闘するサキオさん。相打ちとなってケガを負ったが、結果から言えば、その強盗をノックアウトして逮捕に至った。
「格闘している時に、私もわき腹を包丁で刺されて、右足のすねをパイプ状のものでどつかれ(叩かれ)ました。固い装具の上からでも骨折したのです。包丁は、肋骨と肩甲骨の間に入りましたが、心臓に達さなくてよかったです。泥棒は杖が命中して、気絶していました」

3度目は、昨年の冬だ。銀行のATMの中で、老人の荷物をひったくって、サキオさんに体当たりした男がいた。サキオさんはとっさに杖をのばして強盗を転ばせ、上に乗っかって確保した。だがその時も、太ももにヒビが入り、骨折してしまった。

「骨折は何度も何度も経験しているので、治療も慣れたものです。でも、ケガをする度に、仕事ができなくなるのが本当に困ります」
たまたま運動神経と筋力のあるサキオさんだったから、命を落とさずケガで済んだものの、高齢者や障がい者を狙った犯罪は後を絶たない。

 

※写真はイメージです。

障がい者差別は厳然とそこにある。でも。

「私の父は早くに亡くなりましたが、生涯で3人の『父親』と思える人と出会いました。1人目は自分をずっと見てくれた主治医の先生。2人目は、私を小学校へ導いてくれた元教員の先生。そして、3人目は、鍼灸師の師匠です。人生のロールモデルに、3人も出会えたことは、何よりの幸運でした 」

貧しい生活の中、母は必死に働き通した。3人の父親代わりとともに、サキオさんが自立して生きていけるよう、強く育ててくれた。大人たちの愛情を感じながら、サキオさん自身も努力を惜しまなかった。

「小学校へ入った時、私は病院から出たばかりで世間のことはよくわからないし、抗生物質をずっと飲み続けているので皮膚が割れていたり、フケが多かったりしました。歩くのも遅い、変な恰好をしている、というのでいじめのターゲットになりましたよ。同級生が、わざと廊下に油をまいて、私を転ばせたこともありました。その時も転倒が原因で骨折しました」

主治医はすぐに、骨折したところにボルトを入れる手術をしてくれ、『明日にでも歩いていいよ』と言った。
「社会に出て欲しいから、強くなれ、ということです。母も、5人の子を育てている親ですから、入院中であっても私の看護につくことはできませんでした。障がい者であることを理由とした理不尽な差別や攻撃は、この社会に厳然とありますけれども、自分がそれに屈することがなかったのは、尊敬する大人たちと出会えて、その人たちが私を強く育ててくださったからだと思います」

サキオさんの子どもたちも「障がい者の子」と呼ばれたり、「お父さんに遊んでもらえないだろう 」とからかわれたりして、いじめの標的になった。サキオさんと同じ病気があり、足が不自由な次男は、学習塾に通おうとしても「何かあったら責任がもてない」「利用者の中には、障がい者と机を並べて勉強したくないという人がいる」という理由で、なかなか受け入れてもらえなかった。

 

「理不尽な仕打ち」はいくらでもある。でも、そのような仕打ちに惑わされることなく、生きて欲しいと願う。

 

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装具をつけたままはく靴は、特別にあしらえたものだ

「君がいたおかげで僕は医者になれた」と主治医が伝えてくれた

主治医は敬虔なクリスチャンで、奉仕の精神に満ち、偉ぶらない人だった。手術後、サキオさんの意識がもどると、その先生は必ず隣に簡易ベッドを並べて寝ていて、付き添い看護人がいないサキオさんの面倒をみてくれた。

先生は晩年、サキオさんの初期からのカルテとレントゲン写真を全て手渡してくれた。そして、サキオさんに感謝を伝えた。

「君がいたおかげで医者になれたよ。君が自力で立てるようになったのも、歩けるようになったのも、いい高校へ進学できたのも、君自身がくじけずに頑張ってくれたおかげだよ。助けられない命も数えきれないほど見てきた医者人生において、君がいてくれたことで僕は本当に救われた。君は痛い手術を痛いともいわずに、涙を流しながら耐えたね。医者になろうともしてくれたんだよな」

主治医のカルテを読み返すと、細かい記録がびっしりと書かれていた。それは、サキオさんが生きてきた記録でもある。そして、その記録が、同じ病気をもつ次男の治療に、今とても役立っている。

サキオさんは、ロールモデルとなった3人の大人を意識しながら、自分自身も子育てをしてきた。手だけで運転する車を使って、子どもたちの送り迎えをすることもある。
「“障がい者の父親だ”といじめられた長男や長女、そして、私と同じ病気があり車いすを利用している次男。3人とも、それぞれのびのびと育ってくれているのが嬉しいです。長女や次男は『医療従事者になりたい』と話してくれています。何にでもなれる今の時代、やりたいことを力一杯やって欲しいです。私自身も、もっと患者さんに寄り添う、鍼灸という仕事を極めたいです」

(インタビュー 田上菜奈)

投稿者

田上 菜奈

あしなが育英会では、会長室、アフリカ事業部100年構想を経て、現在は「保護者相談室」に所属。保護者からの相談の受付や保護者向け講演会の開催などに携わる。「保護者インタビューまなざし」をはじめ、いくつかのインタビュー記事を執筆している。

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