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阪神・東北・能登の震災遺族のための「追悼と交流のつどい」を開催

3つの震災の犠牲者を悼み、遺族の想いを共有する「追悼と交流のつどい」を1月11日、神戸レインボーハウスで開催しました。

あしなが育英会は1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の翌年から、毎年1月に、震災で亡くなった人を偲ぶ会を開き、震災遺族の心のケアを続けてきました。
阪神・淡路大震災から30年の節目となる今年は、東日本大震災(2011年3月11日)と能登半島地震(2024年1月1日)で親を亡くした遺児とその家族も招き、61人が参加。全員で黙とうをささげた後、グループに分かれてそれぞれの「震災当時」と「今」を語り合いました。



開会式では、阪神・淡路大震災で4歳の時に母を亡くした福井友利さん、7歳の時に父を亡くした曽根侑子さん、東日本大震災の津波で母を亡くした大槻綾香さんが、震災遺児の代表として登壇。これまで過ごした年月を振り返りながら胸のうちを語りました。

「母がくれた出会いを大切に」

兵庫県出身・福井友利さん(34) 

この30 年間、レインボーハウスで出会った同じ境遇の友だちや、お兄ちゃん、お姉ちゃんの存在が大きかったなと改めて感じています。その人たちの存在があったからこそ、今度は自分自身が、同じように震災で親を亡くした子どもたちとの関わりを持ち続けていこうと思うことができました。

東日本大震災が起きた際は、(あしながの大学生ボランティアのひとりとして)現地を訪れ、被災した子どもたちと過ごしました。当時小学生だった子が中学生、高校生となり、気づけば社会人として働いていると知って、子どもたちの成長をひと時でもそばで見守ることができてうれしかったです。

昨年8月には能登に行き、1月の地震でお母さんを亡くした中学生に会いました。一緒にブレスレット作りをしたり、被災後の生活について話を聞き、帰る時は笑顔で「またね」と言い合いました。みんな、お母さんが生きていれば出会うことはなかった人たちです。

お母さんが亡くなったことは寂しく、悲しいことで、「会いたい」という気持ちは今でも変わりません。でも、お母さんが最後に遺してくれた多くの人との出会いを、これからも大切にして生きていきたいと思います。


「自分の体験を後世に伝えていきたい」

兵庫県出身・曽根侑子さん(37) 

私は小学校1年生の時に阪神・淡路大震災に遭いました。住んでいた家は全壊で、家族全員が下敷きとなり、父が亡くなりました。当時はなんで父が突然死ななければならなかったのか理解できず、悲しいばかりでした。新しい学校では、震災で家族を亡くした人が身近にいませんでした。少し地域が変わるだけで被災状況がまったく違い、「震災で父を亡くした」ということは同級生には隠していました。

あしなが育英会のつどいに参加して、同じように震災で親を亡くした子どもたちと出会い、「つらくて悲しい思いをしているのは私だけじゃない。一人じゃないんだ」と思うことができました。高校と大学には奨学金で進学し、つどいや募金活動に運営側としても携わりました。日本だけでなく、海外の遺児とも出会い、関われたことは大きな糧となっています。

私の母は31歳で夫を亡くし、3人の子育てをしながら毎日を生きていました。今、私が同じように被災したら頑張れるだろうか、ちゃんと子どもを育てながら生活していけるだろうかと考えると、本当に母は偉大だと思います。
震災遺族の当事者として、伝えられることは後世に伝えていきたい。また今後起こりうる災害に備えていける人でありたい。30年経って、こんな風に考えられるようになりました。ありがとうございます。


「涙やつらさも抱きしめて生きる」

宮城県出身・大槻綾香さん(28)

中学2年生の時、東日本大震災の津波で母を亡くしました。当時のことは鮮明に覚えています。たくさんの悲鳴や、見たことのない風景が広がっていて、今もたまに思い出します。あの時、あの地震がなかったら、どんな風になっていたのか。でも、「あしながと出会い、スタッフやファシリテーター、支援してくださるあしながさんと出会ったから、今の私がいる」と本当に思います。
今、私は小さい頃からの夢を叶えて、パティシエをしています。大好きな仕事を日々続けられること、お客様に笑顔で帰ってもらえることが、私にとっての幸せの一つです。そして、つどいに参加することも、私の中では大きな意味を持っています。この挨拶を考えるときも、たくさんホテルの中で泣きました。それでも伝えたいなと思ったのは、亡くなった母に思いを馳せながら、今いる大切な人たちに対して「大切だよ。これからもよろしくね」と伝えたかったからです。
これまで流してきた涙やつらさを含めて抱きしめられるように、自分と他の人たちを愛してあげられるように、これからも成長していきたいです。大好きな仕事を続けて、大好きな人たちと一緒に穏やかな日々を楽しみながら、自分にもいつか来てしまう最期の日まで、大切な時間を積み重ねていけたらと思っています。

心の絆をつなぐ「居場所」

消えない悲しみを抱えながらも前を向いて生き抜き、大人になった先輩の存在は、親を失った子どもたちにとって大きな励みとなっています。 能登半島地震で母と祖母を亡くし、父と共につどいに参加した中学1年生の林さん(写真中央)は、「みんなの話を聞いて、自分の世界が広がった」と話してくれました。




◇◇◇

 

本会が把握しているだけでも、阪神・淡路大震災では573人、東日本大震災では2083人、能登半島地震では10人が遺児となりました。
地震大国の日本において、次にいつ、どの地域が震災にみまわれるかは誰にもわかりません。遺児と保護者の心を少しでも癒し、その後も「帰って来られる居場所」になれるよう、レインボーハウスは活動を続けます。

長きにわたり、私たちの活動を支えていただいた皆様に、あらためて感謝申し上げます。
そしてこれからも、震災遺族の歩みを見守ってくださいますよう、心よりお願いいたします。

投稿者

新元 愛美

2019年入局。機関紙『NEWあしながファミリー』の編集・ライター業務を担当。遺児家庭のお母さんと子どもたちの想いを多くの人に届けるため、書籍や小冊子の企画・編集にも携わる。

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