「3.11を安心して過ごせる場所」ー東日本大震災から15年。レインボーハウスで迎えた一日
※2026年3月12日に文言を一部修正しました。
2026年3月11日で、東日本大震災から15年が経ちます。
2万2332人(関連死・行方不明者含む)もの命が失われた未曾有の災害。私たちあしなが育英会は、震災発生直後から被災地での活動を開始。職員と大学奨学生でチームを作り、避難所や学校を回って「特別一時金」の制度周知をした結果、2083人の震災遺児とつながりました。
以来、今日に至るまで、宮城県仙台市・石巻市、岩手県陸前高田市にある「レインボーハウス」を拠点に、震災遺児の心に寄り添い続けてきました。
レインボーハウスの「15年目の3.11」を取材しました。
3.11を安心して過ごせる場所—レインボーハウスの「開館日」
東北3か所のレインボーハウスでは、震災で家族を亡くした人たちに寄り添うため、毎年3月11日を「開館日」としています。この日は通常のプログラムとは異なり、震災遺児やその家族が、好きな時間に訪れ自由に過ごせるよう、特別なイベントは用意していません。 職員や顔なじみのファシリテーター(ボランティア)、そしてレインボーハウスで出会った仲間と再会できる機会でもあります。
レインボーハウスでの思い出に浸る人。
久しぶりに会う仲間や職員と語り合う人。
亡き人に思いを馳せる人。
来館者はそれぞれ、自分の心のおもむくままに「その日」を過ごします。
東北3か所のレインボーハウスを訪れた来館者や職員の声を紹介します。
「ここは第二の家」|陸前高田レインボーハウス
10時の開館と同時にやってきたのは、2012年からプログラムに参加している皇騎さん(写真右・高3)と宗真さん(写真中央・高1)の兄弟です。

「3月11日にレインボーハウスに来ることで、節目を実感することができます。レインボーハウスは第二の家です」と弟の宗真さん。
兄・皇騎さんは、高校の卒業式を終えたばかり。「仙台の大学への進学が決まりました。震災後、あしながのみんなに育てられてきたので、次は自分が同じ境遇の人を支える立場になりたいです」と目を輝かせていました。

大学時代までレインボーハウスのプログラムに参加していた果南さん(右)は、昨年、第一子を出産しました。
「『母親として頑張っているよ』とみんなに伝えたくて、息子を連れてきました」と話します。「あしながの仲間や職員さんと、同じ時間を過ごすことができて良かったです」と、笑顔でレインボーハウスを後にしました。
家族のようなつながり|石巻レインボーハウス
石巻レインボーハウスには約20人が訪れました。毎年のように顔を合わせる仲間は、まるで親戚のように、気の置けない関係です。

今年は、震災遺児の女性が、生後3か月の子どもを連れて訪れ、会場の空気を和ませてくれました。
仲間たちやファシリテーターが順番に赤ちゃんを抱っこしてあやしていたので、赤ちゃんはずっと上機嫌。母親の女性も周囲を信頼して子どもを任せており、深いつながりが感じられました。

「今日はここで過ごしたい」—震災の日を過ごす居場所|仙台レインボーハウス
仙台レインボーハウスの開館日も、震災遺児家庭の方々のさまざまな思いがあふれる一日となりました。
地元にいると報道や追悼行事などの情報に触れ、落ち着かなくなるからとやってきた、震災遺児保護者のお母さんは、次のように話してくれました。
「毎年3.11は、世間が震災一色に染まるのを感じ、心がざわつきます。3.11は自分のペースでいられないので、今日は、レインボーハウスに来ました」
来館後は、レインボーハウスで出会った、良い距離感でつながっている保護者同士で時間を過ごすそう。成長した子どもたちの変化など、近況報告に加え、「お世話になったお礼を言いたくて」と立ち寄ってくれました。
また、15年が経ち、今回初めてレインボーハウスに来たという方もいました。
「まもなく71才になりますが、一人でいたくないなと思い、こちらに来ました。3.11をレインボーハウスで過ごすのは初めてです。今朝、離れて暮らす娘から電話がありました。仏壇に、妻が好きだったポテトチップを3袋お供えしてからきました」
お茶を飲みながら、時折、日常生活の様子を話しながら過ごされました。
安心できる居場所を必要とするタイミングは人それぞれで、震災直後とは限らないということを実感した出来事でした。

来館者たちを迎えた、仙台レインボーハウスの談話スペース
震災直後から続けてきた、あしなが育英会の取り組み
東日本大震災発生から2日後の2011年3月13日、あしなが育英会は、同震災で親を亡くした子ども(関連死・行方不明を含む)に対して、「特別一時金」を給付することを決定、発表しました。
4月12日から、本会の職員と大学奨学生ボランティアが被災地の避難所や学校を回って震災遺児を探し、「特別一時金」の存在を知らせる「お知らせ隊」活動をスタートしました。その結果、当時、母親のお腹の中にいた胎児から大学院生まで、計2083人の震災遺児を確認しました。
本会には、「震災遺児を応援したい」と国内外から約60億円ものご寄付が寄せられ、本会は、対象者全員に一人あたり約282万円を給付することができました。
2011年5月におこなわれた宮城県石巻市でのプログラムを皮切りに、被災地各所で、東日本大震災遺児に対する心のケアプログラムも開催してきました。2014年には宮城県仙台市、石巻市、岩手県陸前高田市の3か所に「レインボーハウス」が開館し、今日に至るまで、震災遺児たちへの心のケアを継続しておこなっています。
震災遺児が「帰って来られる場所」に―職員の声
「出会った頃はまだあどけない表情だった子どもたちが、仕事の話をしている姿を見て、『ここまで大きくなったんだね』としみじみ思います。多くの方のご支援があり、ここまで見守ることができたことに心から感謝しています」
こう語るのは、仙台レインボーハウスの小川里奈職員です。大学卒業後、2012年に本会の職員となって以来、東北での震災遺児支援に携わり続けてきました。
陸前高田レインボーハウスでの開館日を終えた小川職員は、「子どもたちにとってレインボーハウスが、“帰って来られる場所”になっていると感じられた一日でした」と話しました。
また、震災発生12日後に本会職員として初めて被災地に入り、2017年まで陸前高田レインボーハウスを担当した富樫康生職員(現・寄付課長)は、次のように振り返りました。
「1年後すら見通すことができなかった震災直後から、遺児たちの心を支えられる場所を作りたいと走り出しました。15年間活動を続けることができてよかったというのが、今の率直な気持ちです」
15年目の当日は陸前高田レインボーハウスの開館日に運営スタッフとして赴き、来館者と交流。「かつて接していた震災遺児の元気な姿や、親になっている姿を見て、それぞれの人生をしっかり歩んでいることを知れ、感慨深い」と、目を細めていました。
陸前高田レインボーハウスの開館日で来館者と交流する小川職員(左奥)と富樫職員(右)
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2026年3月末で東日本大震災遺児支援募金の受付は終了しますが、あしなが育英会はこれからも、レインボーハウスを拠点に、震災遺児とその家族に寄り添い続けていきます。










