心塾生インタビューこころいき#5「支えられた音楽で、恩返し」
コトミさん (長野県 大学4年生)
あしなが心塾の塾生長を務めるコトミさんは、世界で活躍するホルン奏者を目指して音楽大学で学んでいる。小学生時代のいじめを乗り越え、ホルンを通して広がった世界のことや、心塾での生活を通して学んだこと、そして今追いかけている夢について、話を聞かせてくれた。
※「こころいき」は、東京都日野市にある、あしなが大学奨学生のための学生寮「あしなが心塾」(以下、心塾)の塾生インタビューシリーズです。
※育英会の奨学金は、親を亡くした子どもたちと親に障がいがあり経済的な困難を抱える子どもたちを対象としています。
ホルンの魅力にはまっていった
「ホルンは、低音はテューバ、高音はトランペットと同じ音域がでるので、実はホルンだけでもミニコンサートが開けてしまうくらい音色が豊かです。それがホルンの魅力で、知れば知るほど奥深い楽器なんですよ」
コトミさんがホルンと出会ったのは、中学1年生の時だった。
「中学校で吹奏楽部に入りました。最初はトランペットを希望していたんですけど、割り振られた楽器はホルンでした。母から『学生時代に1年間だけホルンを吹いてみたが苦労した』という話を聞いていたので、正直なところ、嫌な気持ちが先に立ったのを覚えています。ピアノの『ド』がホルンでは『ファ』になるんですよ。変わってるでしょ(笑)」
母の言葉通り、1年目はホルンとの格闘だった。何とか上達したいと暗中模索で練習をしていた中学2年生の夏、県内でホルン演奏者のための合宿がある、という情報を得て飛びついた。
「NHK交響楽団のホルン奏者などが講師で、基礎から他楽器とのアンサンブルまで多様なレッスンを受けられる合宿でした。講師の中には、フランクフルト交響楽団でホルン奏者のA先生もいて、その縁で、A先生が講師を務める『ホルンアンサンブル教室』にも参加できることになりました」
コトミさんの前に、ホルンを本格的に学ぶ道が開けてきた。
「努力は報われる」という原体験
中学2年生の冬、コトミさんに思いがけない生活の変化があった。ひとり親としてコトミさんと弟妹の3人を育ててくれた母が精神疾患を発症し、入院を余儀なくされたのだ。コトミさんたち姉弟は、友人宅へ身を寄せたり、一時的に施設で暮らしたり、不安定な生活を送った。どこにいても母のことが心配で、将来を考えると心細く不安だった。
「最初は、母の病気への戸惑いが大きかったです。他に頼れる親類もいない中、友人とそのご家族、学校の先生方が支えてくれました。今、思い返しても、本当に感謝しかありません。その方たちがいなかったら、どうなっていたかわかりません。私たち姉弟は相当な困難に直面していたことと思います」
その時も、心の癒しは音楽だった。音楽はどんな苦しい時でも、コトミさんを支えてくれ、コトミさんも、それに応えるように情熱をもって打ち込んだ。
ホルンは、「演奏が最も難しい金管楽器」としてギネスに登録されたこともある楽器。難しさゆえに、上達する喜びや達成感はひときわ大きかった。プロの演奏者が師となる幸運も重なり、コトミさんはホルンにのめりこんでいった。
「中学2年生の終わりに、中部日本吹奏楽連盟が主催するコンクールのソロ部門に県代表として選ばれました。母が、入院していた病院から一時帰宅をして、ピアノの伴奏をしてくれました。努力に努力を重ねた結果だったので、コンクール出場は『努力は報われる』と思える原体験になったと思います。今でも、その時の感覚は大きく心に残っています」

中学3年生の吹奏楽部引退コンサートでの一幕
いじめの経験から芽生えた、医師への憧れ
ホルンを通して自信を強めていったコトミさんだったが、実は、小学生のころに壮絶ないじめを受けていた。
「きっかけは分かりません。小学4年生の時に、学年の半数から無視されました。5年生、6年生になると、無視だけでなく、身体的な暴力も受けるようになりました。身の危険を感じる出来事もあり、学校に行くこと自体が大きな苦痛になりました」
当時のコトミさんは、自分の何がいけないのか迷うと同時に、周囲の大人たちが十分に助けてくれないように感じていた。つらい状況が続いた6年生のある日、教室にあった穴あけパンチの道具で強く殴られた。このことを母が警察に相談し、学年最後の18日間だけ別の小学校へ転校することになった。
「いじめられていた時期、私のことを心配した母が小児科の心の相談室に連れて行ってくれました。中学に入ってからは、精神科の先生が医学的側面から私の悩みに応えてくれました。そんな時、新聞記事で、『精神科医が学校に入って、いじめに介入した』という記事を読みました。絶望していた自分にとって、そのニュースは輝いて見えました。学校の先生も教育委員会も歯止めになれない悪質ないじめに、精神科医が介入したら変化があった。医師にはそんな権威があるんだ、と思ったんです」
コトミさんは、中学進学後に出会ったホルンに夢中になりつつも、医師になるという密かな夢も持ち続けていた。
ホルンか、医師か
中学3年生の時、A先生が「ドイツでホルンを勉強しないか」と声をかけてくれた。ホルンが日々の中心になっていたコトミさんは、強く惹かれたが、家庭の事情や弟妹のことなども考えると即決できなかった。悩んだ末、「ドイツ留学は、日本の高校を卒業した後にしよう」と決めた。普通科高校に進学して、吹奏楽部でホルンを演奏していたが、そこで誰もが予期していなかった出来事が起きた。新型コロナウイルスの世界的な蔓延だ。
「学校も部活動も休止になり、音楽を含むエンターテインメント業界全体が大きな打撃を受けました。吹奏楽の全国大会が中止になり、市が運営していたホルン教室や合宿もなくなりました」
ドイツ留学の話も消滅してしまった。
「もちろん落胆はありました。でも、ホルンの道が難しいなら医学部へ進もうと気持ちを切り替えて、勉強に打ち込みました。それこそ休み時間も、寝る時間も惜しんで勉強しました」
猛勉強をしていた高校3年生の秋、コトミさんを再び音楽の道へ引き戻す出来事が2つあった。
ひとつは、祖父の急逝。ガンと宣告されて、わずか2週間のうちに、祖父がこの世を去った。
「祖父との別れは衝撃でした。あまりにあっけなくて、人生って短いんだ…と思いました」
もうひとつは、病気から回復した母が40代で准看護師になる勉強を始めたことだ。
「医療系は何歳でも勉強できるのか!と気づいて、今じゃなくていいのかもしれない…という気持ちが湧いてきたんです。楽器は、習得するのにも演奏するのにも、体力と同時に若さも必要だな…そんな風に考え始めました」
これらの体験から、コトミさんは、今の自分が一番やりたいことは音楽だと改めて気づいた。そして、高校3年生の10月、再びホルンを手にしたコトミさんに、もう迷いはなかった。
中学生のころ、ホルン合宿を主催していた山本真先生と
ホルンと仲間とあしながさんが、背中を押してくれる
音楽大学に入ったコトミさんは、大学での勉強以外に始めたことがいくつかある。その1つが、地元の自治体での中高生向けのホルン会だ。
「大学1年生の時、中高生のホルン奏者に無料で教える機会を作ろうと、社会教育団体を立ち上げました。それとは別に、地元の中学校からも指導の要請をいただき、吹奏楽部でも教えています。普段は東京で生活しているので、母の協力なしにはやっていけないのですが、母も頑張ってくれています。学生が勉強を教えて!と言うこともあり、ボランティアで勉強もみています」
もう1つ力を入れているのが、あしなが学生募金の活動だ。高校入学当時、ひとり親で精神疾患を抱えた母は、退院した後も働くことが難しかった。そんなコトミさんを支えたのがあしなが奨学金だった。
「奨学金がなければ、高校の費用を支払うことはできなかったと思います。高校では、自分のやりたいことが思いっきりできました」
受けた恩を後輩につなげたいと、学生募金事務局の局員となり、積極的に活動している。
実際に街頭に立つと、感動することがあるという。
「自分の奨学金がどれほど多くの人の思いをのせたものなのか、直接、肌で感じることができます。普段からあしながさんにはとても感謝していますが、街頭で『頑張ってね』『いつも応援しているよ』という一言をかけていただくと、本当に大きな励みになります」
大学4年生になってからは、あしなが心塾の塾生長も務めている。様々なバックグラウンドを持つ塾生一人ひとりが、安心して語り合える雰囲気づくりを目指している。
「集団生活には良い面もあれば、難しい面もあります。多様性の集まりです。でも、私は心塾に来てから、どんな場面でも相手の価値観を受け入れることができるようになりました。学びが多くあるんです」
来春、大学卒業したら音楽の世界に飛び込みたいと、コトミさんは考えている。国内外のオーケストラでホルンを演奏したい。海外留学も実現したい。支えてくれた人たちへの感謝を胸に、自らに限界を設けず、精一杯チャレンジしていきたいと考えている。











