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奨学生インタビュー こころいき#2「大きな挑戦を恐れちゃいけない」

心塾生インタビュー こころいき#2

アブドゥさん(ベナン出身 大学3年生)

西アフリカのベナン共和国(以下、ベナン)出身のアブドゥさんは、11歳のとき父を亡くし、その後の進路が大きく変わってしまった。しかし境遇を受入れ、どんなときも前を向いて、その時々にできる大きなチャレンジを続けてきた。経済事情による挫折を経ても挑戦を重ね、あしなが育英会の「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」(以下、AAI)に合格。奨学生(100年構想生)として2022年9月に来日し、学生寮「あしなが心塾」で生活しながら東京の大学に通っている。人生をふりかえり、「挑戦」することの極意を話してくれた。

父の死で大きく舵を切ることに

アブドゥさんは、11歳の時に、父を亡くした。 
「僕たちは、都市部から420キロほど離れた山村部に住んでいました。46才で病気になった父の病状は重く、地元の病院では治療ができないと、設備の良い病院へ行くことを勧められました。具合が悪い父の両脇を母と叔父が抱え、バスで6時間かかる首都の病院へ連れて行ったのです」 
父は何とか入院したものの、容態が悪化し、1日も経たぬ間に亡くなってしまった。父をロールモデルとして背中を追ってきたアブドゥさんにとって、衝撃的な出来事だった。 
 
「父は、子どもの頃からずっと成績優秀で、いい学校に行って、いい職場に就職した、頼りになる存在でした。異母兄弟を含めると10人もの兄弟がいる大きなファミリーの長男として、たくさんの家族・親戚を支えていました。だから、父が亡くなったことで家族みなの計画が狂ってしまったのです。僕は、父が亡くなる前に、地域で1番レベルの高い私立中学を受験していて、父の死後に合格通知を受け取りましたが、お金の工面ができず、入学をあきらめざるをえませんでした。正直、『あぁ、もう全て終わった』と思ったのを覚えています」 
 
ベナンでは、私立校と公立校の間には、大きな隔たりがある。私立校は学費が高いが、学ぶ環境は、公立校とは比べものにならないほど良い。施設も充実していて、教育の質も高い。私立校は、エリートの入口ともいえる。アブドゥさんは、父のようなエリートになろう、強く生きようと心に決めていて、幼いころから勉強に励んできた。しかし、突然の父の死により、人生計画を変更せざるをえなくなった。 
「ものすごく不安でした。親を失うというのはものすごく怖い出来事です」

同級生が600人以上の公立中学校

アブドゥさんが進学した、地元の公立中学校には、学生があふれていた。 
「日本の学校では考えられないことかもしれませんが、1クラスに70人以上の学生がいるのです。その規模のクラスが1学年に9つもあります。常に60~70人の学生を1人の先生がみていますから、世話も行き届いていませし、600人以上も同級生がいる中では、よほどいい成績を出さないと先生の目には留まらないのです」 
 
アブドゥさんは、「現実を飲み込むのが早かった」と自らを振り返った。私立校に行けなかったことは残念だったが、社会のリーダーになるためには、公立校にいることは悪いことではないかもしれない、と思い直した。リーダーには様々な経験が必要で、様々な人間を知る必要がある。競争にも勝たなくてはいけない。公立校には、自分と同じように親を亡くして、生活苦にあがいている子も大勢いた。多様な境遇、異なる価値観を持つ同級生と出会って、まさに人生の修行場という感じがした。 
 
「中学時代は、年齢的にも最も危ない年ごろで、自分の行動しだいでは、悪い道に引き込まれる状況になりうる、ということは十分理解していました。だから、僕は道を外れぬよう、すごく意識して毎日を過ごしました」 

高校時代のハイライト「スピーチコンテスト」

中学・高校を通して、アブドゥさんは毎朝5時には起床して、そうじなどの家事を手伝い、水浴びをして、片道1時間の道のりを歩いて通った。友だちと会話をしながら毎日2時間歩くことは健康にも良かったが、話術の練習にもなった。学友と出場した全国スピーチコンテストは、高校時代の最高の思い出となっている。
 
「仲間とスピーチの練習を積んで、首都まで6時間、バスに乗って行きました。何度も予選を勝ち抜いて、そのたびに『公休』で、都会に行けるのが嬉しかったです。行くたびに勝って、どんどんハイレベルな戦いになっていって、学校の幹部の先生方もサポートしてくれるようになりました。そして、とうとう全国大会で優勝したのです!国中の全高校生のトップになったのです。学校始まって以来の快挙でした!」 
月曜日の朝礼で、アブドゥさんたちスピーチコンテストチームは、2000人近い全校生徒の前で紹介され、健闘が称えられた。学校で有名人になった。 
 
「この経験から得た教訓は、『大きな挑戦を恐れちゃいけない』ということです。これができればポジティブな変化がもたらせる、と頭では分かっていても、いざその場になると怖くなってしまう。学校ではその気になって、頑張って練習していても、6時間バスで旅をしているうちに、段々気弱になってくる。でも、それに打ち勝つ心の強さがとても大事なのです。成功の秘訣は、たくさん準備すること、そしてポジティブな考えを持つことです」 
 
スピーチコンテストでチームキャプテンを務め、仲間たちをリードできたことは、アブドゥさんの大きな自信になった。 

 

abdou speach team

仲間と勝ち取った全国大会の優勝トロフィー。左から2番目がアブドゥさん

奮闘の末、100年構想生に選抜された

「スピーチコンテストで共に闘った仲間は、みな大学へ進学を果たしました。大学進学率が低いベナンでは、すごいことなのです。僕は、ジャーナリズムに興味を持っていましたが、ベナンにはその学科を学べる大学がなかったので、3500キロ離れたセネガルの大学に出願しました。厳しいテストや面接を経て入学を勝ち取ったものの、入学金や航空券が準備できず、僕の大学進学の夢はついえそうになりました」 
 
その時、アブドゥさんを助けたのは地元の人たちだった。「あいつを大学へ行かせてやろう」と友人・知人が呼びかけてカンパが始まった。 
「僕のことを全然知らない人までもが、お金を集めてくれたのです。航空券も、パスポートの費用も、パスポートを取るための人脈も集めてくれました。ベナンではお金があってもツテやコネがないと、パスポートが取れない政治的な事情があります。何とか必要なお金が準備できて、みなさんに送り出され、大学に入学できた時には、感激で胸が一杯でした」 
 
そのような苦労を経て留学したアブドゥさんだったが、新型コロナウイルスの世界的な流行という不運に見舞われた。大学は7か月にわたって閉鎖され、異国の地で孤独と失望にさいなまれた。将来が見えなくなったアブドゥさんは、ベナンに帰国する決心をした。 そんな失意の中、アブドゥさんは、あしなが育英会の留学プログラム「AAI」が受験生を募集していることを知った。これに合格すれば、再び学ぶチャンスが巡ってくる。受験しない理由はなかった。

 「AAIはお金の無い遺児にとって、本当に素晴らしいプログラムです。それだけに競争が激しいので、2度目の挑戦で採用された時は夢のようでした。AAI候補生となり、学習拠点があるセネガルとウガンダで準備合宿をしました。合宿が行われたウガンダは東アフリカにあり、ベナンから約5000キロも離れています。ベナンはフランス語が公用語ですが、ウガンダは英語。言語も文化も全く違います。そして今、僕はさらに遠い日本にいて、心塾に住み、大学に通っています!日本の言語も文化も、全く違いますから、大きな挑戦は今も続いています」 

故郷のためになりたい 

「あしなが育英会が運営しているAAIプログラムには、高い理念があります。採用された100年構想生は、将来、国に帰って地域や国をリードする人材になることが期待されています。ウガンダとセネガルに候補生たちが集められて、留学準備の勉強合宿をするのですが、その段階で既に、自力でNPOを立ち上げている学生が何人もいました。とても志の高い人たちが集まる場所でした。素晴らしい同期生と巡り会えて、僕は大いに刺激を受けました」 

 
例えば、ブルキナファソ出身の学生は、高校生の時から地元の子どもたちのために就労支援の団体を運営していた。ブルキナファソは長年、テロの脅威にさらされており、学校に行けない子どもやストリートチルドレンが大勢いる。その子たちに、読み書きに加え、大工になるための技術を教え、就労支援を行っていた。同年代の若者が、そのようなことを実践しているという事実は、アブドゥさんをがぜんやる気にさせた。 
 
「コミュニティを変えることは、若くてもできるのだ、と気づかされました。僕自身は、まだ『これをやる』という具体的なアイディアが固まっていません。でも、父が病気の時、母たちが瀕死の父を420キロ先の都市まで運ばなくてはならなかった事実は、いつも僕の頭の中にあります」 
 
昨年の夏、インターンシップをするために母国に戻ったアブドゥさんは、ベナンの国営放送で、2か月間働く機会を得た。マスメディアの可能性や役割について考えるいい機会になった。 
「ベナンには多くの遠隔地があるので、将来は遠隔地のインフラ不整備や、地方格差を改善するために働きたいです。地域住民の安心・安全につながる政策を、住民の代弁者として提言したいと考えています。問題・課題が何か、把握するリサーチも必要です。保健省(Ministry of Health)に職を得て、システム改革に尽力するのもいい。それに付随する機関や企業で働くでもいい。もちろん、マスメディアにも興味があります。とにかく、地方や遠隔地に住む人々のために自分を活かしたいのです。どんなことが出来るのか、僕自身もワクワクしています」 

 

AAI scholars

AAIの合宿拠点「ウガンダ心塾」で仲間たちと。前列右から2番目オレンジのシャツがアブドゥさん 

あしながさんへ伝えたいこと

「最初に、僕に日本で学ぶという機会を与えてくださりありがとうございます、と心からお伝えします。あしながさんは、自分たちが支えている子が『誰』とわからなくても、支援してくださっています。そんな貴い善意を受けられることを、本当に光栄に思っています。 街頭募金であしながさんに会えて、お顔が見られるのは、とても貴重で重要な体験です。教育支援は、すぐに結果が出る投資ではないけれど、みなさまからの寄付は、確実に、社会に良い影響を与えていると信じています。 
 
僕らは、国や民族を超えて、互いに影響を与え合う存在です。あしながさんからいただいた機会や経験、知識や考えを、将来、僕らが活かして働き、誰かに何かを与える存在になります。あしながさんからのご寄付は、様々に形を変えて、アフリカの国々、そして日本に貢献する力となります。そんな『やさしさの循環』は、誰にとってもすごくいいことだと思います。あしながさんに、何度でも、心からの感謝をお伝えします」

 

(インタビュー 田上菜奈) 

 

◇◇◇

 

「あしながアフリカ遺児高等教育支援100年構想」について

アフリカの遺児に、日本をはじめ世界中の大学に留学する機会を提供し、将来さまざまな分野で活躍し、母国やアフリカの発展を担うリーダーを育成するプログラムです。個性と才能にあふれる100年構想生(アフリカ遺児奨学生)たちの様々な挑戦と活躍のようすは、年2回発行の『アフリカ遺児支援レポート』でご覧いただけます。



アフリカ遺児支援レポートを見る

 

投稿者

田上 菜奈

あしなが育英会では、会長室、アフリカ事業部100年構想を経て、現在は「お母さん相談室」という部署を担当。保護者からの相談の受付や、保護者向け講演会の運営などに携わる。「保護者インタビューまなざし」も執筆している。

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