心塾生インタビューこころいき#3「もっと知りたい。人のこと、世界のこと」
心塾生インタビューこころいき#3「もっと知りたい。人のこと、世界のこと」
ちおりさん(大学3年生 新潟県出身)
ちおりさんは、あしなが育英会の大学奨学生のための学生寮「あしなが心塾」で、2025年度の塾生長を務めている。あしなが心塾(以下、心塾)に住む大学生(以下、塾生)63名をまとめるちおりさんは「人といるのが大好き。今は心塾と塾生に関われることが楽しくて仕方ない」と話してくれた。
生まれてすぐに父が他界
ちおりさんの父が他界したのは、ちおりさんが生後2か月のことだった。物心が付いた時には、母と祖父母の4人で生活していた。
「乳飲み子を抱えて夫を失ったとき、母は25歳。『頑張るしかない』と思って、落ち込む暇もなかったと聞いています」
母が語る父は、ちょっと天然気質で、とても優しい人物だ。2人は同じ職場で出会った。結婚式の直前に父が倒れて、入院。ちおりさんの誕生を見届けるようにして亡くなった。
「母はあまり後悔するタイプではなく、常に前向きの姿勢です。祖父母もいて、私も寂しいと感じたことはありませんでした。ただ、授業参観や運動会などで同級生の父親を目にしたときや、思春期になって父親を嫌がる友人の話を聞いたときなどは、『自分も父との生活を経験してみたかったな』と思うことがありました」
大学よりも心塾に入りたかった
「中学時代はバレーボール部でした。高校時代はきつい練習は嫌だなと思って書道部に入りました。袴姿で、大きな筆を持って文字を書くのはかっこいいな!っていう、あこがれもあって(笑)。でも、部活よりも放課後、友だちと街に出て、プリクラを撮ったり、ご飯を食べたり、映画を観たりして過ごすのが好きでした。キラキラした楽しい時間が最高でした」
「中学・高校時代は勉強が嫌いだった」というちおりさんは、休みたい時には休む、気ままな高校生だった。これといって夢中になれるものもなく、部活もどこか中途半端な気持ちでやっていた。
「成績は良くないけれど、先生と仲良くなるタイプの子っていますよね。その典型です。ボランティアにはその頃から興味はありましたが、それを探す勇気も行動力も、当時の私にはなかったです」
そんなちおりさんが変わるきっかけになったのは、高校1年生のときに参加した、あしなが育英会のサマーキャンプ「高校奨学生のつどい」だった。普段過ごしている地元の友人たちとは異なり、父が亡くなっていることや、それに関する自分の気持ちを隠さなくてもよい人たち、つまり、同じような体験を持つ仲間たちとたくさん語り合うことができた。
「班のメンバーの話を聞いて、自分も話して、みんなで泣いたり喜んだりしました。そんな経験は初めてで、印象に残っています。ここが新たな安心できる場所なんだ、と感じました」
高校2、3年生のときは、コロナ禍でつどいは中止となったが、あしなが育英会から送られてきた心塾の案内に心をひかれた。
「『国際性を築くことができる』と書かれていて、ビビッときました。つどいで同じ班になった大学生リーダーの1人が留学生で、その人と仲良くなれて嬉しかったことを思い出しました。あのときのように、海外の学生と日常的に話せる環境はいいな、と心塾の生活に憧れました。私、東京の大学に入りたいというより、あしなが心塾に入りたくて、東京での進学を選んだんですよ!」
人生を大きく変える体験 1年間のウガンダ研修
2024年の4月から2025年の2月まで、あしなが育英会の海外留学研修制度を利用して、東アフリカに位置するウガンダ共和国で過ごした。ウガンダでの1年を、ちおりさんは「人生のターニングポイント」と語る。
「実は、ウガンダに行く前は、子どもが嫌いだったんです。人は好きなのに、子どもとなると接し方が分からなくて苦手でした。だから、行った当初は、あしながウガンダ・レインボーハウス*の事務所にこもっていました」
*あしながウガンダ・レインボーハウス(ナンサナ市)は、遺児の心のケアと基礎教育支援をする「あしながウガンダ」の施設。読み・書き・計算を教える教室を「テラコヤ」と呼んでいる。
テラコヤの様子は、「アフリカ遺児支援レポートVol.3」p.8-9に掲載しています。
現地の生活にも慣れてきたころ、5月に行われた遠足を機に、ちおりさんは、苦手意識を持っていた子どもたちの中に飛び込んでみた。いざ関わってみると、子どもたちは人なつこく、明るく、くったくがなかった。
「ウガンダの子どもたちは、みんな面白かったんです。英語でコミュニケーションするのも楽しかったです。子どもたちのおしゃべりや生活に興味が湧きました。1年間の滞在中に10件以上の家にホームステイさせてもらったのですが、これが本当に素晴らしい経験となりました」
ウガンダの主食は、乾燥させたトウモロコシ粉からつくる、ペースト状のポショ。それに豆や野菜のシチューをかけて食べる。ウガンダの食事も味付けも、ちおりさんの口に合った。しかし、暮らし始めた最初のうちは身体が慣れておらず、よくお腹を壊して苦しんだ。徐々になじんできて、やがて体調不良はなくなっていった。ホームステイ先でも、何でも食べられるようになった。
ホームステイ先は遺児家庭だ。みんな厳しい生活を送っている。それなのに、いつも精一杯のもてなしで歓迎してくれた。ウガンダに対する愛着が、日に日に強くなっていった。
「髪の毛はブレイズ(細かい編み込み)にしていました。本当は、子どもたちとおそろいの坊主頭にしたかったのですが、そこまでの勇気はありませんでした。でも、バケツ1杯の水で上手に水浴びができるようになりましたし、途中から日焼け止めも使わなくなりました。身体もたくましくなって、10キロほど体重も増えたんです」
髪をブレイズに編んだちおりさん。ウガンダ人の学生たちとの一体感を得たかった。
ちおりさんがそれまでに日本で出会った海外の人たちは、日本のことをある程度は知っていた。しかし、多くのウガンダ人は日本のことをほとんど知らず、日本の常識も通用しなかった。ちおりさん自身もウガンダについて知らないことばかり。そんな中で、何かを始めたり、子どもたちを教えたりするのは、0から1を作り出すような作業で、毎日が小さなチャレンジの連続だった。
「ウガンダ甲子園」の開催で育まれた自信
ちおりさんにとって1番大きなチャレンジだったのが、『ウガンダ甲子園』(英語名はウガンダ・コウシエン・ベースボール・チャンピオンシップ)の開催だ。
「これは、私と、JICAボランティア、あしながウガンダの少年野球チームを率いるコーチが、協力して企画した少年野球の大会です。コンセプトには自信がありましたけれど、現地の事情などわからないことばかりで『失敗するかもしれない』という恐怖感がありました。その怖さを克服して、ウガンダ甲子園を開催できたことは、自分自身にとって大きな自信になりました」
ウガンダは、サッカーとクリケットが盛んな国で、野球はあまり普及していない。広いグラウンドを整備したり、道具を揃えたりする必要があり、一般の人が楽しむのにはハードルが高い競技といえる。 「あしなが・ベースボール・クラブ」(通称ABC)は、あしながウガンダに来ていた海外留学研修生(あしなが大学奨学生)が2009年に立ち上げ、野球好きの職員や歴代の研修生たちによって引き継がれてきた、あしながウガンダの少年野球チームだ。 ABCは、対戦相手を作るために近隣の子どもたちも練習に招き、同時に、指導者の育成にも力を注いできた。その甲斐あって、現在はいくつもの少年野球チームができ、互いに切磋琢磨できる環境になった。
「『ウガンダ甲子園』は、6つの少年野球チームによる総当たり戦の大会で、このような大会を開催したのは初めてでした。普段は離れた地域に住んでいる6チームの子どもたちが、4泊5日で戦うわけですから、場所選びも大変。グラウンドが完備された寄宿学校の寮を借りて開催しました。大好きな野球、しかも宿泊を伴うイベントの特別感に、子どもばかりかコーチやスタッフも大喜びでした。私もメンタルコーチとして参加しました。メンタルコーチは、試合前の緊張やスランプのときに、子どもの心を落ち着かせる指導をしたり、グラウンドでの礼儀・作法を教えたりします」
大会中、一緒に寝食を共にした子どもたち、そしてコーチたちは、チームの垣根を越えて仲良くなった。大会の数日間で、技術的にも体力的にも成長していく子どもの姿を見ることができて、ちおりさんは感動した。他チームのコーチからは「このような機会を作ってくれて、本当にありがとう。夜の時間も、子どもたちはすごく楽しそうだった」と、感謝の言葉をもらった。ちおりさんにとっても、生涯忘れられない体験になった。
寝食をともにしながら、野球をしたウガンダ甲子園。試合後のひととき。
これからの人生もアフリカと関わり続けたい
ウガンダを去るとき、野球の仲間が20人ほど見送りに来てくれた。ABCのコーチ、エマさんは、ちおりさんに感謝の言葉をかけてくれた。
「今まで何人もの人が野球のコーチをしてくれたけれど、最終的には、別の強いチームを指導するために去ってしまった。ちおりは、最後まで子どもに寄り添って、サポートを続けてくれたね。最高のコーチだったよ」
この言葉は、ちおりさんの胸に響いた。バレーボールや書道や勉強を中途半端にしかしてこなかった、未熟な、過去の自分を思い返した。
「子どもが嫌いだったのは自分が子どもだったから。自分が中心でいたかったから…。でも今は、子どもも心塾の後輩も、可愛いと思えるようになりました。ウガンダでの経験が自分を成長させてくれました。これからも、私はずっとアフリカと関わっていきたいと思っています。大学院に行って、アフリカのことや世界の他の地域のこと、文化、生活をもっと深く学びたいです。教育や心理学、国際協力の分野にも興味があります」
ウガンダは、様々な観点からちおりさんに強い影響を与えた。
3年生になり、卒業後の進路選択が現実味を帯びてきたが、ちおりさんは、40~50代になったらアフリカに学校を建てたいという夢を描いている。その夢をくれたウガンダ留学のきっかけこそ、「あしなが心塾」での留学生たちとの出会いと交流だった。後輩たちにも世界が広がる体験をしてほしい、と思っている。
「心塾は、年間を通してたくさんのイベントがあります。その一つひとつの出来事が全て、大切な思い出になります。少しでも興味がある方はぜひ、進学するときに心塾にいらしてください。お待ちしています!私たちが楽しい塾生活のサポートをします!」
また、ウガンダでの経験を経て、奨学生としての自分を支えてくれているあしながさんへの感謝をいっそう強めたという。
「日常の生活の中で自分の無力を感じる時もありますが、あしながさんが寄せてくださるメッセージを見て『こんな自分も生きていていいんだな』と励まされています。『あしながさんVOICE』で、街頭で募金活動をする姿に心打たれた、というメッセージを見た時は涙が出ました。募金の場で、そういうふうに私たちを見ていてくれる方がいると知って驚きました」
メッセージを介したあしながさんとのつながりは、未来を向いて前に進むちおりさんの大きな支えになっている。
「もっと、あしながさんのお話が聞きたいです。どうして寄付してくださっているのか、どういう生活をされているのか…。これからも、『あしながさんVOICE』でみなさんのメッセージを読めるのを、楽しみにしています!」