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保護者インタビューまなざし「ウガンダママたちの奮闘記」

保護者インタビューまなざし♯32 「ウガンダママたちの奮闘記」
カイーラママとパイアスママ(ウガンダ共和国 50代)

カイーラママは1999年、パイアスママは2000年に夫を亡くした。当時のウガンダに死別家庭は少なくなかったが、彼女たちの幸運は、2003年に設立された「あしながウガンダレインボーハウス」とのつながりだった。来日していたお二人が、ウガンダでのシングルマザーの子育て経験や、あしながさんへの感謝を語ってくれた。

※「カイーラ」、「パイアス」はそれぞれの息子の名前です。

女手ひとつでの子育ては“ビッグチャレンジ”、大きな試練 

アフリカ東部に位置し、ヴィクトリア湖に面したウガンダ共和国。1962年に独立国となってから、20年以上内戦が続いた。80年代以降、政権は安定したが、エイズやマラリアなどの蔓延で親を失う子どもが多く、あしなが育英会がアフリカ遺児支援に取り組むきっかけとなった国だ。


首都カンパラから車で30分ほどの郊外にあるナンサナの町に、あしなが育英会初の海外活動拠点である『あしながウガンダ』がある。2001年に現地NGOとして登録された。地元のニーズを踏まえ、2003年に遺児の心のケアを行う施設「あしながウガンダレインボーハウス」が建てられた。支援現場のニーズに合わせ、2007年には基礎教育支援のための「テラコヤ」事業を開始し、翌年には教室が増築された。(2024年現在のレインボーハウス登録者は927人) 
 
カイーラママとパイアスママの子どもたちは、開設初期からレインボーハウスに通っていた。当時すでに600人ほどの遺児が登録しており、施設はいつも子どもたちで溢れていた。

 

「ウガンダにおいて、夫を亡くした女性は、厳しい現実に直面します。生きていくのは正にビッグチャレンジ、大きな試練だと思いました」(カイーラママ) 


“ビッグチャレンジ”という言葉は、インタビューの中で2人のママが口にした言葉だ。夫を亡くし、子どもたちを抱えて、ふたりのママは「生活するのも、子育てするのも、大きな挑戦になる」と覚悟を決めた。

 

※ウガンダでは小学生であっても労働力として頼りにされることがある。遺児家庭においては特に、働く母親に代わって弟妹の面倒をみたり、水くみや日銭稼ぎの仕事に出たりすることが多い。子どもたちの就学は家庭にとって労働力損失につながるので、否定的な保護者もいる。 
「あしながウガンダレインボーハウス」では、そのような保護者を説得して子どもが勉強できる環境を整え、子どもが子どもらしくいられるよう、さまざまなプログラムを通して子どもたちの成長を支えている。読み書き計算といった基礎学習支援を行うのは、学校に行けずにいる子どもたちが、地元の小学校の勉強についていくためだ。そして、中学校、高校に進学するよう促し、励ましている。 


あしながウガンダレインボーハウス

 

〔カイーラママの場合〕
食い逃げ頻発の居酒屋経営

カイーラママの夫は、長い間病気を患っていた。最後の1年間は体調が悪くなったり良くなったりを繰り返していて、仕事ができなかった。子どもたちの学費や食費を調達できず、親戚や友人から借金をした。夫が亡くなったとき、財産と呼べるものは何も残っていなかった。 
 
結婚してから子育てと夫の介護に忙しかったカイーラママには、働いた経験が無かった。子どもは6歳と8歳。まだまだ手がかかり、教育も必要だ。途方に暮れるとはこのことだった。 


「ウガンダでも女性は働いていますが、やはり男性中心の社会で、女性が大きなビジネスをすることは難しいです。それでも何とかしなくてはと思って、小さなお店を始めました」 

カイーラママは、1部屋しかない自宅の半分を布で仕切り、通りに面した5畳ほどのスペースで食料品店を営んだ。10か月ほどやってみたが、ほとんどもうけは出なかった。店を居酒屋に仕立て直して、酒と食べ物を提供することにした。日々の糧を得るために、できることは何でもしようと考えた。 

 

「とにかく、全くの素人が商売をするのですから、何から何までわからないことばかり。とても時間をかけて、なんとかわずかな利益が出るようになりました。朝の9時頃から、夜中1時過ぎまで居酒屋をしながら子育てをしました。お金がないのに飲みにくる人、借金で飲み食いする人、飲んだあと逃げてしまう人など、ビジネスは大変でした。食い逃げした客が店の前を通りかかったのを見つけた時は、必死で追いかけました」 

朝から真夜中過ぎまで働いて、売上は1日500円ほど。ひと月休みなく働いて15000円くらいだ。同年代のナンサナの女性の稼ぎと比べると、決して悪い方ではなかったが、ひとり親家庭で、ほぼ全ての時間を仕事に費やさなければならなかったので、楽ではなかった。そんな生活の中でも、子どもたちが素直に育ち、家事を手伝い、勉強を続けているのが嬉しかった。 

 

「子どもたちは、休みの日や夜の時間を、居酒屋か、布1枚で仕切られた奥の自宅部分で過ごしていました。時には飲んでいる客の横であっても、どんなに騒がしくても、場所を選ばずに勉強をしていました。ちゃんと宿題をするよう、私も厳しく見ていましたよ。成績が悪いと叱ることもありました。だって、子どもたちが立派に育ってくれることだけが、私の希望でしたから」

 

 

カイーラママ(東京にて)

カイーラママ(東京にて撮影)

我が子が日本に!教育が道を開く

「私の子育てで一番気をつけていたのは、人としていいマナーを身に着けることです。礼儀正しく、良し悪しを判断できること。家族で助けあうこと。家事を手伝うこと。これらは、どんなに貧しくとも身に着けることができます」 

カイーラママは、一日中居酒屋を切り盛りするのに忙しかった。子どもたちは手分けして掃除をし、洗濯をして、家事を手伝った。 

「私が働く姿を見て、ガミガミ言わなくてもお手伝いをしてくれました」 

 

2005年、あしなが育英会が世界から遺児を招待して、日本の遺児たちと交流をするサマーキャンプを行うことになった。12歳になった長男が参加者のひとりとして日本に招待された。 

 

「ナンサナを出ることさえほとんどなかった子が、いきなり海外へ、しかも遠い日本へ行くことになったのです。この体験は、息子に大きな衝撃を与えたようで、ひとまわりも、ふたまわりも大きくなって帰ってきました。それからは、また日本に行きたいといって、勉強を頑張るようになりました」 

 

その後、長男は地元の中学、高校へ進み、念願かなって日本の大学へ進学した。 
「息子が日本に留学できたのは、あしながさんのおかげです。それは、感謝してもしつくせません。ウガンダ政府がもっと教育に力を入れることができれば、日本のように大きく発展するでしょう。でも、現状は違います。ウガンダで教育をうけることができた子どもたちは、たとえ海外の大学に進学したり、就職したりしても、いずれは母国に戻って、母国の発展に寄与してくれると思っています。世界から技術やシステムを持ち帰ってくれるでしょう。自分の息子にも、日本とウガンダの懸け橋になって欲しいです」 

〔パイアスママの場合〕 
夫の突然の死と、3人の子どもたちとの生活

パイアスママの夫は、バスの運転手だった。夫が42歳で突然亡くなった時、パイアスママは33歳。長女が14歳、長男10 歳、次男は8歳だった。パイアスママもまた、それまで専業主婦で、働いた経験はなかった。 
「どうやって子どもを育てようか…ビックチャレンジ、試練だなって思いました。ナンサナ小学校で働きはじめましたが、3人の食べ盛りの子を養うには給料が充分ではなかったので、地域の警備員もやっていました。朝、昼、夜と働きづくめでした。無我夢中でした。中学生だった長女が、母親代わりになって、2人の弟たちの面倒をみてくれました」 


2003年にあしながレインボーハウスができ、子どもたちを通わせることになった。自らも仕事の傍ら、学校に行けていない遺児たちを探しては、レインボーハウスにつなげるコミュニティワーカーの役目を果たした。

 
「10年間くらい、ボランティアでコミュニティワーカーをしました。小学校で働いていたこともあり、子どもにとって教育は何より大事だと感じていたからです。ナンサナには、勉強についていけなくて脱落してしまう子、家事や仕事に追われて学校に来られなくなる子がたくさんいて、心を痛めました。あしながレインボーハウスは、そういう子どもたちの居場所でもあります」 

 

自分たちも支援を受ける立場ではあったが、やれることがあれば恩返ししたい、あしながの活動に貢献したいという気持ちが大きかった。コミュニティワーカーの他、ホームスティ先として、あしなが育英会の海外研修生(日本人のあしなが奨学生)や職員を自宅に滞在させることもあった。 

パイアスママ(東京にて)

パイアスママ(東京にて撮影)

子どもたちがウガンダレインボーハウスから日本の名門大学へ!

ウガンダレインボーハウスに通っていた長女は、国内で中学、高校と進学したのち、日本の有名私立大学に合格した。ウガンダレインボーハウスから海外留学を果たした第1号の学生となった。 
「それはもう、嬉しかったです。ナンサナをあげての大ニュースとなりました」 


親を失っても、生活が厳しくても、一生懸命勉強すれば海外へ留学するチャンスが訪れる。長女の大学合格は、ウガンダレインボーハウスで学ぶ全ての子どもたちに希望を与えた。それは弟たちにとっても同じだった。 

 

「次男もまた、カイーラママの息子同様、2001年に日本で行われたあしなが育英会主催のサマーキャンプに招待され、その後、日本への憧れを強めていきました。一生懸命勉強したと思います。次男まで日本の大学に合格した時は、本当に誇らしかったです」 


晴れて、2人のママの2人の息子たちは、同じ年に日本への留学を果たした。留学先は違ったが、ふたりとも関西圏の大学に進み、4年間を虹の心塾(兵庫県神戸市)でともに過ごした。募金活動や奨学生のつどいにも参加した。小学生のころから机を並べて懸命に勉強した息子たちは、兄弟のように青春時代を過ごし、今も机を並べて後輩遺児の未来のために仕事をしている。 

二人のママ、あしながさんへの尽きぬ感謝

2人のママたちは、あしながさんへのメッセージを次のように語った。 


「あしながさんには、とても、とても感謝しています。本当に優しい方々だと思います。日本のあしながさん、ひとりひとりのご寄付が、アフリカの教育現場にまで届くのは、とても意味のあることだと思います。あしながさんが、アフリカにいる私たちを支援しようと思ってくださることは、本当に特別なこととして、心から感謝しています。子どもたちの教育を大切に考えてくださるのが嬉しいです。本当にありがとうございます。 

ウガンダには、学校にいけなくなってしまった子どもたちがたくさんいます。そのような状況は、地域を不安定にします。盗みや犯罪が増えるのは、それしか生き方を知らないからです。学校に行って、教育を受けられるというのは、犯罪を減らして、社会を安定させることにつながります。その意味の大きさを、改めてお伝えしたいです」(パイアスママ) 

 

「あしながウガンダの支援を通じて、ウガンダの遺児学生は日本で学ぶ機会を得て、日本人のあしなが奨学生はウガンダで研修する機会を得ています。お互いの友情や信頼関係は両国の懸け橋となり、いい結果を生み出すでしょう。日本にもウガンダにも、成功をもたらすと思います。それを支えてくれているあしながさんに、深く感謝しています」(カイーラママ) 


ふたりのママたちは、すっかり自立した息子たちに招待されて、来日を果たした。彼女たちが日本に来て感動したのは、その美しさ、清潔さ、秩序と調和、人々の親切と礼儀正しさだという。 


「東京のような大都会にも、緑があって、みんなが草花を大切にしているのが印象的です」 
「どの景色も美しくて、心地いいです」 
「一番驚いたのは、誰もが時間に正確なこと。電車が1分遅れただけで、謝罪のアナウンスが電車の中で放送されました。ウガンダでは1~2時間遅れても、まぁ普通かなって思います。約束の時間に、ちゃんと人が揃って、物事が始まるのは、本当に素晴らしいことです」 

平均寿命が短いウガンダでは、45歳で現役を引退するのが一般的で、今はふたりとも子どもたちに支えてもらっている。カイーラママは居酒屋を15年続けた。パイアスママはコミュニティワーカーを20年務めた。あの頃、一生懸命に働いて、子どもを育ててきた二人。こうして、子どもたちと日本にいるのが、夢のように感じる。

ウガンダにおいて、病気や事故で親を亡くす子どもは後を絶たないが、その子たちが息子の背中を追って、一生懸命勉強している姿を目にすると誇らしい。息子たちには、自分が受けた恩恵を、次世代に活かす仕事を続けて欲しい。そして、どれだけ離れたところに住もうとも、なかなか会うことができなくても、彼らの幸せを心から願っている。 

本部事務所にて記念撮影

あしなが育英会本部事務所でのインタビューが終わったあと、すこし緊張した面持ちのお二人。(本部事務所にて撮影)

 

(インタビュー 田上菜奈)   

◇◇◇

ウガンダレインボーハウスでの活動は、「アフリカ遺児支援レポート」でご紹介しています

あしなが育英会では、アフリカ遺児支援活動の内容をお伝えする『アフリカ遺児支援レポート』を年2回発行しています。

本冊子のメインコンテンツとして、「100年構想生のストーリー」を掲載。日本をはじめ世界中の大学で学ぶサブサハラ・アフリカ出身の遺児学生たちを突き動かす志、母国にいる家族のストーリー、日本での学びなどを、丁寧な取材を通してご報告しています。


また、「ウガンダレインボーハウス」の活動もご紹介しています。小学校に通うことすらあきらめていた遺児たちが、「テラコヤ教室」で読み書き計算を学び、友情を育む姿や、サッカー・野球・アートなどの課外活動を通して才能を開花させていくようすをご覧いただけます。
そのほか、不定期で、あしなが育英会の「海外留学研修」でウガンダ研修に参加した日本人大学奨学生へのインタビューなども掲載しています。

各号PDFをダウンロードしてお読みいただけます。リンク先からぜひご覧ください。



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投稿者

田上 菜奈

あしなが育英会では、会長室、アフリカ事業部100年構想を経て、現在は「お母さん相談室」という部署を担当。保護者からの相談の受付や、保護者向け講演会の運営などに携わる。「保護者インタビューまなざし」も執筆している。

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