保護者インタビューまなざし「心の中の夫の声『しゃーんめよ』に励まされて」
保護者インタビューまなざし#35 サチコさん(茨城県在住 50代)
今年の3月、あしなが育英会の学生寮、あしなが心塾(以下、心塾)の卒塾式で卒塾生の家族代表として祝辞を述べてくれたサチコさんは、「母親としては未熟で、社会人としても偉くないけれど」と前置きをした上で、卒塾生や在塾生の胸を打つスピーチをしてくださった。塾生に、「社会人としての礼儀作法を意識して」「今を大切に」「やりたいことは後回しにしないで」という3つのアドバイスを送ってくれたサチコさんから、お話を伺った。
息子の後ろ姿に衝撃を受けた
卒塾式のスピーチでは、4年前、長男が大学へ進学し、茨城の実家を出て、心塾へ入塾したエピソードも紹介された。長男を気持ちよく送り出すつもりだったのに、実際には心塾に向かうタクシーの中でも、長男に小言を言い続けてしまった、というものだ。
「息子は車から降りると、心塾の門をくぐり、満開の桜の下を振り返らずに歩いて行ってしまいました。その息子の後ろ姿を見て、思いっきり頭を殴られたような衝撃を受けました。なんで怒ってばかりいたんだろう、もっと優しくすればよかった、もっと美味しいものを食べさせればよかった、もっといろいろ買ってあげればよかった、ということに、何で今まで気づかなかったのだろう。自分は思慮が浅く、未熟な母親だったと、息子の姿が見えなくなってから気づきました」(スピーチから引用)
長男が15歳の春に夫を亡くしてから、思春期・反抗期でもある難しい高校時代を、女手ひとつで育ててきた。その長男が心塾に入った日に、サチコさんの子育ては一区切りがついた。振り向きもせず心塾へ入って行った長男のエピソードには、サチコさんの不安と安堵、喪失感と達成感、期待と後悔が入り混じった、複雑な思いがつまっている。塾生として式典に臨んでいた長男は、背筋をまっすぐに伸ばして、正面を見据えたまま、じっとサチコさんのスピーチに聞き入っていた。
心塾に育ててもらった
長男は、小さなころから少しばかり落ち着きがなかったり、人見知りが強かったり、話し方が舌ったらずだったりと、サチコさんを戸惑わせる一面があった。しかし、サチコさんが雨に濡れて帰宅した時などは、タオルを持って走ってきて、頭を拭いてくれるような、心優しい少年に育った。
父親を亡くしたのは、長男が中学を卒業し、高校に入学する直前のことだった。サチコさんは、高校の入学式前に葬儀を済ませようと、急いで段取りをした。
「私たちは、気持ちを整理する間も無く、ゆっくりとお別れをする間も無く、大急ぎで葬儀を終えてしまったけれども、それが良かったのか悪かったのか、今でも分かりません。しばらく経ってから、私も子どもたちも心身の調子を崩しましたので、もしかすると充分なお別れの時間が必要だったのかもしれません。でも、何より1番の心残りは、夫も長男もあれほど楽しみにしていた、真新しい高校の制服に最初に袖を通したのが、葬儀の日だったことです」
長男の高校生活は、波乱の幕開けとなった。友人関係も、最初は順調な滑りだしと思われたが、何かのきっかけで仲間から外れるようになり、やがていじめの対象となっていった。長男は、あまり多くを語らない。しかし、友だちと呼べる人はできなかった。高校2年から、あしなが奨学生となった長男は、高校奨学生対象のサマーキャンプ「つどい」に参加した。 「行くときは本当に嫌がって、財布を忘れて家に取りに戻りました。ところが、4日後に帰ってきた時は別人のようで、大学に行きたい、心塾や海外留学に行きたいと言い始めました。それまで、進路のことは考えていなかったので、驚きました」
家の近くには工業団地があり、高卒で働く者も多かった。長男も働くことになるのだろうか、果たして今の長男に勤まるのだろうか…とサチコさんは心配していた。しかし、つどいの後、長男には大学という目標ができて、苦手な勉強にも向き合うようになった。
「勉強以前に、じっと座っていることや、ものごとに集中することが難しいようだったので、どうなることかと案じましたが、彼なりに頑張ったと思います。複数の大学から合格を頂き、念願の大学生となりました」
心塾への入塾も決まった。それでも、心配でたまらず小言を言い続けて送り出したサチコさん。長男は、予想に反して心塾で楽しく過ごしてくれた。4年経った今は、以前とは比べられないほど成長したことを感じる。
「集団生活や、英会話講座などから学んだことは、もちろん多かったと思いますが、長男にとって1番良かったのは、友だちを得たということでしょうかね。中学でも、高校でも、彼には友だちと呼べる人がいなくて、修学旅行の班分けでもひとり余るような子でした。心塾では皆さんが仲良くしてくれ、先輩にも可愛がってもらったと聞いています。気の合う親友もできました。長男にとってはとても大きなことです。もし、アパートでひとり暮らししていたら、大学卒業までいけたか分からないです」
長男は就職が決まった後、仲が良いルームメイトとともに、初めての海外旅行も経験した。留学をしていたその友人と、「タイで待ち合わせしている」と言って、ひとりで飛行機に乗って行った。
「知らない間に、何でも自分でできるようになっていました」
突然だった夫の死
夫は、家の近くで自動車整備工場を営んでいた。夫の人柄をひと言でいうと、男気の強い、頼りがいのある人だった。皆が嫌がるような作業でも、黙々と取り組む人。先輩に可愛がられ、後輩からは慕われるタイプだ。自動車整備中に不慮の事故で亡くなった時、夫は53才だった。
「夫の異変に最初に気が付いたのは、春休みで自宅にいた長男でした。お昼ごはんを買いに行く途中で、車の下敷きになった夫を発見して救急車を呼んでくれました」
夫は自営業で、いつもひとりで仕事をしていた。サチコさんには事業の全貌がよく分からず、夫が亡くなってから整備工場をたたむまでは苦労の連続だった。高価な車の部品を無断で持ち去る人がいたり、どこに置いてあるか分からない車の税金を請求されたり、事情が分からないことにつけこんで、お金を要求してくる人がいたりした。弁護士や実家の家族が一緒になって対処してくれたが、サチコさんの気苦労は耐えなかった。
「職場には葬儀の後すぐに戻りました。弱いところを見せたくないと気を張っていました。夫を亡くした可哀想な人、と思われたくなかったのかもしれません。でも、夫の事後処理の方は、煩雑な手続きや、弁護士を付けるような慣れない交渉ごとが続き、正直疲れ果ててしまいました。やがてその無理が心身に現れて…。子どもたちも不調になりました」
医師からは療養のため休職するよう勧められたが、職場ではその時、長期休暇中の人もいて多忙を極めていた。休みをとることを迷うサチコさんに、上司である女性職員が言ってくれた。
「職場に代わりはいるけれど、お母さんに代わりはいないから、ゆっくり休んで」
そのさり気ない、優しい言葉は、硬く張りつめていたサチコさんの心をゆるめた。休職を決めたサチコさんは、子どもたちと過ごすことに専念した。
夫はよく子どもたちを釣りに連れ出してくれた
夫はいつも心の中に
休職の時期は、コロナ禍と重なった。息子が学校でいじめにあうなど、心配ごともあった。不安に駆られたり、悩んだりすると、「しょうがねぇべよ。しゃーんめよ。(仕方ないよ)」という、夫の声が聞こえる気がした。
「家族の誰もが、子どもたちを可愛がってくれましたが、長男の1番の理解者は夫でした。どんなことがあっても、怒ることなく、『しょうがねぇべよ』と笑っていました。ある時から、夫が心の中にいるという感覚が芽生えてきて、悩んだ時に『彼だったら何というかな』と、考えるようになりました。最初は何でも自分で決めなくては!と気負っていたのが、段々と夫ならどうするだろう?と考える余裕ができた、ということかもしれません。亡くなった人が、心の中に生きているというのは、こういう感覚なのかなと思いました」
休職中に、サチコさんを励ました出来事がもうひとつ。あしなが育英会から届いた、2度にわたるコロナ禍の緊急支援金だ。
「自分も、子どもたちも、びっくりしました。不安な中、子どもたちのことを、親以外の誰かが気にかけてくれているということが、ものすごく嬉しくて、心強かったです。その感謝を長女が新聞に投書したら、紙面に取り上げてもらえて、それに対してのリアクションも新聞に掲載されて、皆さん優しいなぁと感激しました」
あしながさんへの感謝は、長女、長男が大学を卒業した今、さらに強く感じている。
これからは社会の役にたちたい
「子どもたち2人が社会人になって、気持ちが随分と楽になりました。今の職場はたまたま就職したのですが、37年間も働いています。仕事があって、本当に良かったと、何度も思いました。自分の戒名に社名の一文字を入れると決めているほど、人に恵まれた職場です(笑)60才過ぎたら、フルタイムの働き方は終わりにして、人の役に立つボランティアの時間を持ちたいです」
「私の父は、中学を卒業してすぐに働きに出ました。その傍ら、民生委員をやったり、地元の郷土民芸品であるアヤメ傘の作り方を若い方に教えたり、神社に奉納する大きなしめ縄飾りから、家庭の神だな用のしめ縄飾りまで上手に作ったりして地域に貢献していました。手先の器用さが人の役に立ったのです。私も、手芸が大好きなので、手芸で誰かの役に立てたら、と考えています」
昔は、子どもたちに人形やぬいぐるみを手作りしてあげた。長女のバレエの衣装も手縫いした。職場でもマスコットキャラクターを立体的なぬいぐるみに仕立てて、事務所を飾ったり、お得意先にプレゼントしたりしている。将来は、縫い物の特技を活かして、身体が不自由な方や、高齢の方の洋服を手直しするボランティアがしたい。
卒塾式のスピーチで、サチコさんは塾生たちに、「社会人としての礼儀作法を意識して」「今を大切に」「やりたいことは後回しにしないで」という3つのアドバイスをしてくださった。特に、3つ目のアドバイスは、実体験によるものだった。
「私は高卒で就職しました。通信制の短大と専門学校を卒業して、大学に編入して、資格を取得したいと考えていましたが、実現させていません。20代の時に大学を卒業して資格を取っていたら、選択肢が広がって今とは違う人生を送っていたのかな、と30年経った今でも思うことがあります。挑戦したいことや、やりたいことがあったら、是非、後回しにせずに挑戦してください。失敗体験は、学びやレベルアップのチャンスでもあり、何度でもやり直せます」(スピーチから引用)
ピカピカの新社会人への、サチコさんの心からのメッセージだ。
(インタビュー 田上菜奈)