保護者インタビューまなざし「悩ませてくれてありがとう」
保護者インタビュー 「まなざし」 第3回
「悩ませてくれてありがとう」
ナオミさん(千葉県)
今回は、事故によって突然夫を亡くされた、ナオミさんにお話しを伺いました。
うわさ話に苦しめられて
「夫は、ホームから転落して鉄道事故に遭いました。4月の初旬、歓送迎会が行われた夜の不慮の事故でした」
6年前の春、いつものように始まった一日が、突然、大きくうねり、ナオミさんと家族の日常はそれまでとは全く違うものとなった。
「年度の替わり目で、夫は寝る暇もなく仕事をしていて。その日、会社の歓送迎会があり、夫は疲れと寝不足から深酔いして、駅のホームから足を滑らせ転落してしまったのです」
警察から連絡を受けて駆けつけた。そこからの日々は、ナオミさんの想像を絶するものだった。
「どんな事故でも、遺族は大変だと思います。でも、鉄道事故は、普通の交通事故とも違って、保険や補償が出ないばかりか、社会的に迷惑をかけてしまったという自責の念にかられたり、賠償をしなくては…と、対外的にも気を遣わなければならなかったりするのです。まだ子どもたちも幼く、その子たちのことを考えなくてはいけない中で、鉄道会社や警察、夫の職場などへの対応に追われました」
夫の晩節をけがすようなことはしたくない。良い夫、よい父、よい社員だった夫の人生を悪い形で終わらせたくない。悲しみと混乱の中、ナオミさんは必死に動いた。自ら進んで、賠償すると鉄道会社に電話もした。あちらこちらに謝罪をした。
そんな中、ナオミさんを一番苦しめたのが、周囲から聞こえてくるうわさ話だった。事故の情報は、アッという間に人の知るところとなり、自分も、子どもたちも心無いヒソヒソ話に傷つけられた。夫の人となりを尊敬していただけに辛かった。
あしながとの出会い 奨学大学生との出会い
夫の事故から半年ほど経つと、友人や同僚、知人などから「落ち着いた?大丈夫?」と、声を掛けられるようになった。
「…ダメ…」
と、本音で答えると、相手の顔が曇る。
(そうだよね、ダメなんて言われたら、どうしたらいいのか分からなくなって困るよね)
相手の心情を察すると、弱音を吐くこともできなかった。心配する気持ちは本当だろうけれど、期待している言葉は、
「うん、もう大丈夫」
だと気付くと、感情や考えを表に出せなくなった。人を安心させるために、元気な振りをしなくてはいけない。それは、子どもたちも同じで、家族の全員が「大丈夫」を演じた。
「仕事があってよかった。幸せだ」
そう自分に言い聞かせて、元気なふり。
「自分も子どもも幸せだ」
と、幸せを確認して上書き。
そんな頃にあしなが育英会につながった。ワンデイプログラムに参加してみると、そこでは「泣いてもいい」と言ってもらえた。そのような場所は、他にどこも無かった。職場も、役所も、家庭でさえも。
「様々な死別を体験したお子さんや遺族の方がいらして、お話を聞いていると、感情が動きました。私よりもつらそう、と思ったり、きっと今が一番大変な時だよね、と共感したり。気を張って精一杯頑張っている、いつもの自分とは違う自分が、レインボーハウスの中にいて…。ありのままの姿を唯一出すことができる場所でした」
ワンデイプログラムなど、あしなが心のケアプログラムでは、「話した内容は部屋を出たら絶対に口外しない」などいくつかのルールの下に運営されていて、安心・安全を感じながら、話ができる環境が整っている。泣いても、怒っても、仲間やスタッフはありのままを受けとめる。ナオミさんは、レインボーハウスで過ごすうちに、自分でも気づいていなかった本当の気持ちに気づくことができた。
そして、ファシリテーターとしてプログラムに参加している、あしなが奨学大学生たちとの出会いも大きかった。大きなお兄さんとして、遊び相手をしてくれる大学生は、頼もしい存在に映った。思いきり遊び回る子どもたちの姿に、心底、癒された。
「うちの子も、将来、こうやって大学生になるのだろう。そして、同じように悲しんでいる子どもの相手をするかもしれない」
大学生たちに励まされ、希望をもらった。
「ここにいれば、もう私、大丈夫だ、ってホッとしたのを覚えています。子どもが、怒りをぶつけていい場所(火山の部屋)も用意されていて、サンドバッグなどをバカバカ叩いて、イラつきを発散することもできる。本音を語ることも、泣くこともできる。そういう場所は、リアルな世界には無かったです。私たちは安心を得ました」
まだ幼かった長男は、遊ぶことがメインだったが、長女は、世代を超えての交流を楽しんだ。中学、高校、大学のお姉さんたちが今抱えている悩みに耳を傾ける経験が、学校の友人関係にも良い影響を与えたと、ナオミさんはいう。
「お姉さんたちの日常の悩みに耳を傾けることが、彼女の人生経験の一部になりました。あしながを通して、人とのつながりを学んだり、精神的に成長したりしたのが分かります」
悩ませてくれてありがとう
「娘は、8歳の時に父親を失ってからずっと、本当に『いい子』でした。反抗とか、我がままとかを見せずにいて。でも、レインボーハウスで開催された『つどい』(宿泊を伴うケアプログラム)の後、文集が出来上がってきたのを見たら、私の悪口が堂々と書いてあって!彼女はそこで初めて本音を吐露できたのです。あの頃の私は、娘の本当の気持ち、心の声に寄り添えていなかったと、気付かされました」
娘がいじめを受けていた事実も学校の人づてに聞き、自分に相談できなかったことを知った。下の子も病気で入院することになって、自分がどれほど子どもたちに負担をかけていたか、気持ちにより添えていなかったか、身につまされた。
「子どもたちと正面から向き合いたくなった」
と、ナオミさんはいう。
そして、母親として一大決心をした。
「仕事を辞めて、子どもとしっかり向き合う決心をしました。経済的な不安は、もちろんありましたけれども、今、向き合わなければいけないと思って。多忙で心身ともに余裕が無いうえに、子どもにちゃんと愛を与えられていなくて、このままでは、誰のために、何のために働いているのか?と大きな壁にぶち当たった感じがしたのです。もちろん、経済的なことを考えると、ものすごい葛藤がありました」
子どもに向き合おうと決心して職を辞したものの、最初は問題点ばかりを見てしまい、子どもとの関係はぎくしゃくした。
「話を聞きたいのに、話してくれず、反抗したり、反応が鈍かったりする子どもの態度にキレて、傷つけることがたくさんありました。『どうして話してくれないの?パパだったら話してくれるの?!』と、今思い返せばひどい暴言を吐いたことも」
ナオミさんが仕事をしていたころは、家庭よりも仕事を優先しなくてはいけない局面が多々あった。夫の生前も、休日出勤や出張を何とかやりくりをしていた状態だった。夫亡き後は、様々なサービスを利用して頑張ってきたが、子どもの心の問題は、サービスでは解決できなかった。
「ひとり親で、女性で、安定した職に就けているのだから、仕事はしなければならないと強く思ってやってきました。子どもたちも『お母さん、仕事に行って。私たち頑張るから』と言ってくれ、本当にその通り、頑張ってくれたのです。でも、その子どもたちの頑張りは、無理のある頑張りだったのかもしれない。職場から帰ると、私は疲れ果てていて話もできない…という状態で、分かってあげられなかったのかも」
ひとたび、緊急事態になると、土日も関係なく出勤しなくてはいけない。不安な子どもを家に残して、仕事に行かなければならない。そういう生活を続けていくうちに、「私には一体何が一番大事なのか?」と自問自答するようになった。仕事の代わりを出来る人はいくらでもいるが、この子たちには自分しかいないのだということに、改めて気が付いた。
「夫が亡くなった直後は、『この子たちをどうしよう、どうやって育てたらいいの?』ということばかり考えていました。でも、仕事を辞めて向き合っているうちに、夫が残してくれた子どもたちの存在に、改めて感謝が湧いてきて。一緒に居られるだけで、幸せだと思えるようになりました」
「色々ありますけれど、本当にいっぱいやらかしてくれるけれど、夫には子どもを残してくれてありがとう!といいたいです。悩みもありがとう!悩ませてくれてありがとう!って」
今後は、子どもを優先してパートとして仕事に復帰する予定だ。
支援される側から 支援する側へ
「子どもと向き合い始めたころ、『勉強をしない』『ゲームばかりする』『ゴロゴロしてばかり』『部屋がきたない』といった問題点に目が行って、私自身がイラついていました。何とかして問題を正そうとしていました。今までやれてこなかった子育てを取り戻そうとして」
しかし、子どもを観察するうちにダラダラした後には、元気になることに気が付いた。 そして、問題と思われる行動も、親が家にいることで、やっと甘えや感情を出せるようになった結果ではないかと思えた。
「長い時間がかかったのですが、このダラダラが子どもには必要だったんだって気付いて。優先順位も、親と子では違うと分かってきました。試行錯誤しながら、少しずつ、子どもとの関係が良くなってきた感じです」
最近、ナオミさんの心境に変化が起こった。子どもとの絆を取り戻し、子どもの将来に明るい兆しを見出せるようになって、過去の執着が少しずつ手放せるようになってきたという。
「夫の死は、もちろん悲しい出来事であったけれども、そこから出会えた人たち、経験できたこともあったのは事実。多くの人に支えられて、今は、起こること全てに感謝しかないと思えるようになりました。今は、心から、私の決断正しかった、家族の結束は本当に尊いものだったっていえます」
これからは、仕事と平行して、お母さんたちを支える活動を始めようと考えている。コロナ禍で孤独を感じているお母さんが沢山いる。支援されてきた側から、支援する側へ。人生がまた動きはじめた。
「人生は捨てたもんじゃないって、心から思っています」
(インタビュー 田上菜奈 )
レインボーハウス、ケアプログラムの詳細はこちらよりご覧いただけます。