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父の死の真実を超えて 寂しさと葛藤の中で見つけた私の未来|レインボーハウスインタビューシリーズ「ともに」#5

あしなが育英会の心のケアの拠点である「レインボーハウス」では、遺児、保護者、ファシリテーター(ボランティア)など、様々な人が出会い、繋がりが生まれています。レインボーハウスインタビューシリーズ「ともに」では、レインボーハウスと繋がりがある方々に、レインボーハウスでの人との出会いや経験など、これまでの歩みを中心にうかがい、ご紹介していきます。

香穂さん(兵庫県 大学1年生)

神戸レインボーハウスでは、親を亡くした幼児から中学生の子どもたちを対象に、ワンデイプログラム、つどいなどの心のケアプログラムを提供している。香穂さんも、6歳から18歳までレインボーハウスのプログラムに参加していた当事者だ。初めて参加した日から13年、香穂さんは今年、大学1年生になった。父を亡くした当時からの歩みや、レインボーハウスとの関わりについて、語っていただいた。

「自分には父がいない」という体験

父は、香穂さんが小学校に上がる前、6歳の秋に亡くなった。母からは、父が病気で死んだと知らされた。


「父が突然亡くなって、とてもつらかったけれど、その気持ちを表に出すのは嫌でした。母が、ものすごくつらそうにみえて、その姿を見ていたら、私がしっかりしなきゃと思ったからかもしれません。私があまり自分の感情を表に出すと、家族が壊れるような気もしていました。父親の死のことを詳しく尋ねたい気持ちもありましたが、雰囲気を察して、母が話せるタイミングが来たらその時でいいや、と思っていました」


香穂さんは、父を亡くした後から、人目を気にしたり、空気を読んだりするようになった。同じ年齢の子どもたちをみても「あの子たちとは違うんだ」と思うようになり、周りの人から「大人っぽくなったね」と言われることもあった。


父が亡くなって数か月後、小学校に入学した香穂さんは、朝の会で家族の話をすることになった。香穂さんが話し終えた後、クラスのある男の子が「お父さんはいないんですか?」と尋ねた。それを聞いた担任の先生は「やめよっか」と質問をはぐらかし、男の子には、香穂さんに謝るよう伝えた。男の子は香穂さんのところへ謝りにきた。


香穂さんは、そのときの先生の言動が、なんだか嫌だった。その男の子には特別な意図がなく、素朴な疑問として質問したようだったが、先生の一言により、なぜか自分が謝られることになってしまった。「父親がいないことは、人前で語ってはいけないことだったんだ」、と香穂さんは悟った。それ以外にも、学校では、父の日や運動会など、他の子たちと自分の家庭の違いを感じる機会が多かった。香穂さんにとって学校は、「自分はマイノリティなんだ」、「自分には父がいないのだ」と思い知らされる場所になった。

忘れられない14歳の誕生日

香穂さんと家族は、父の死の直後から、神戸レインボーハウスとつながり、香穂さんは6歳から、定期的に心のケアプログラムに参加するようになった。

 

レインボーハウスでは、学校でのように話の内容に気を使ったり、空気を読んだりする必要がない。のびのびと素の自分でいることができた。そんな時間を重ねていき、10代になると、学校でもレインボーハウスでも、自分がやりたいことを堂々とできるようになっていった。中学校では、陸上部で練習に励み、生徒会活動に取り組んだ。


中学2年生、14歳の誕生日に、図らずしも香穂さんは、父の死因を知ることとなった。

「部活動が忙しくなって、家族3人が揃って食事をする機会が少なくなっていました。その日は私の誕生日だったので、家族揃って食事をしようねと決めていました。みんなで話をしていた時、弟が『パパはなんで死んだの?』と、母に尋ねました。母は『本当は私が死ぬまで誰にも言わず、墓場まで持っていこうと思っていたんだけれど…』と前置きして、父が本当は自死で亡くなったことを告げてくれました。母は泣いていました。弟も、号泣しました。でも、私は、なぜだか泣けませんでした」


「小学生の頃から、父の死因は、なんとなくですが、自死だろうと察していました。母親を責める気は一切ありませんが、真実を聞いて『嘘ついてたんだ…』と思いました。それまで参加してきたレインボーハウスのプログラムでは、『父は病気で亡くなった』とみんなに伝えていたし、 “病気で亡くなった父”への思いを、友だちと共有してきました。レインボーハウスで出会った、病気で親を亡くした友だちは、この事実をどう思うのだろう。『私はあの子たちと一緒の立場じゃなかったんだ』という負い目も感じました」

父の死の真相がもたらした、湧き上がる父への思い

香穂さんに父の記憶はあまりない。幼い頃の旅行の記憶はあるが、思い出はすでに薄れていた。日常生活の中では父を思い出すこともなかったが、レインボーハウスのプログラムに参加すると思い出す時間ができた。そのわずかな時間で、父の記憶は繋ぎ留められていた。しかし、病気ではなく、自死で亡くなったと知ったとき、香穂さんの中で、父に対する思いが変わっていった。

「父は生きていたんだ、存在していたんだ、という実感が沸き上がりました。そして、父はどう生きたのか、なぜ自死という道を選んだのか、とても知りたいと思いました」

 

父の死の真相が知れなかったことは、それまでの香穂さんに少なからず影響を与えてきた。気持ちが荒れたり、「自分はひとりだ」と落ち込むことがあったりした。

だからこそ今は、父がどんな人だったか、何をしてきた人なのか、どう生きた人なのか知りたい気持ちがある。しかし、いまだに母に尋ねることができずにいる。「気をつかう、空気を読む幼いころの自分」がまだどこかに潜んでいるのかもしれない。近い未来に、大人同士として母から父の話を聞くことができたら…と思っている。

父が自死だとまだ知らなかったころ。ある日のレインボーハウスのプログラムで、女性のファシリテーター(手助けする人)が、自身の父を亡くした後に自死と知ったという体験談を話してくれたことがあった。衝撃的な体験だったはずなのに、その女性に特別なところはなく、普通に見えた。その出来事が、強く、香穂さんの印象に残っていた。

「自分の父も自死だったと知ったとき、その人が普通に過ごしていた姿を思い出して、私も大丈夫だと思えました。14歳の私は、時空を超えて、その人の存在にとても救われました。そして、私もそういう人間になりたいと思いました。私よりも若い世代の子どもたちに『こういう人もいるんだよ』という一例になれたら…。同情はされたくないけど、誰かの支えになれたらいいと思ったのです。その出来事があってから、自分もいつかファシリテーターになるんだと、自然と考えるようになりました」

念願のファシリテーターに。「そばにいるだけでいいんだ」

大学生になり、香穂さんは念願のファシリテーターになった。2024年9月に、あしながレインボーハウスで開催された「全国小中学生遺児のつどい(※)」に参加した。そこで香穂さんは、とても悩み、緊張した3日間を過ごした。「私はどんなファシリテーターが好きだっただろう?」と自問自答しながら、子どもたちと向き合った。

「参加者の中に小学4年生の女の子がいて、私がその子のそばにつきました。その子はとても静かで、私とあいさつを交わした後は、黙ってしまいました。他の子どもたちがバレーボールをしているのを、二人で眺めていました。何も話さず、遊ぼうともしない女の子を前に、私は内心、どうしようって焦りました。でもしばらくすると、女の子が、『おしゃべりの部屋に行っていいですか?』と私に話しかけてくれたんです。ついていくと、おしゃべりの部屋にあるうさぎのぬいぐるみを手にとり、そのうさぎに付いていた缶バッジを指して『これ前来た時、付けたんだ』と、教えてくれました。
その時に『こういうことか』と気付いたのです。コミュニケーションを上手くとらなきゃと思っていたのは自分のエゴで、傍にいるだけで良かったんだって。子どものころ、自分も、誰かがそばにいてくれるだけでいい、と思っていたことを思い出しました」

同時に、香穂さんは、「もう子どもとしては参加できないんだ」と気付き、寂しい気持ちにもなった。

「つどい中は、ファシリテーターの香穂と、子どもの香穂が交互に出てくる感じでした。自分が参加していたときのことを思い出すと、父との死別のことだけじゃなく、部活や学校のこと、恋のことなど、いろいろな話を聞いてもらっていました。私が『してもらってきたこと』を、ファシリテーターとして今度は自分が子どもたちにできるのかわからないけれど、レインボーハウスや、ファシリテーターとしての私が、参加する子どもにとって、なにか変わるきっかけになったらいいなと思います。今後もファシリテーターとしてプログラムに参加していきたいです」

全国小中学生遺児のつどい:あしながレインボーハウス(東京都)で開催している2泊3日のプログラム。全国の親を亡くした子どもを対象とし、遊びやお話を通して、同じような体験をした子どもたち同士が交流し、気持ちを分かち合う。

父の死は、自分の人生の一部

最後に、今、父の死をどう受け止めているか尋ねてみたところ、香穂さんは次のように語った。

「父親を自死で失うという経験をしている人は少ないし、変な言い方かもしれないけど、この経験を活かしていかなきゃと、今は思っています。両親のもとに生まれてきたからこそ、経験できたことですから。だからといって、『あの人のお父さんは自死で亡くなった』というレッテルを貼られるのは嫌です。まずは私自身を、偏見無しに見てもらいたいです。
レインボーハウスとは、父のことがあったからつながることができました。父の死に感謝はしていないけど、レインボーハウスとつながれたことには感謝しています。かけがえのない存在やロールモデルとの出会い。自分の変化。そして、全国にできた友達。レインボーハウスから、プレゼントをたくさんもらった感じです。
大学進学は、家族のことを思って選んだ道です。これからやりたいことはたくさんあります。大学で芸術文化を専攻したのも、自分がやりたいと思うことを、どう表現するか学びたいと思ったからです。
将来は、父の死を巡る体験や出会い、湧き出てきた感情や変化といったものを上手く使って、表現していけたら…。作品を作り、人に見てもらいたいと思っています。いろいろな人に、出会いに、『ありがとう』と思っています」

 

 

ファシリテーターとしてレインボーハウスと新たなつながりを持ち始めた香穂さん。出会った6歳の頃から変わらない香穂さんの笑顔には、人と人をつなぐ力がある。今、レインボーハウスのプログラムに参加している子どもたちにも勇気を与えているだろう。

自死で父を亡くした経験と向き合い、自分の人生を切り開いていこうとする彼女のこれからの人生を、職員として見守り続けていきたい。

 

(インタビュー:峰島 里奈)

 



インタビューシリーズ「ともに」を見る

 

◇◇◇

レインボーハウスのプログラムに関心のある方へ

あしなが育英会では、次の5か所にあるレインボーハウスで、親を亡くした子どもたちの心のケア(グリーフサポート)活動を行っています。子どもたち一人ひとりのグリーフ(grief:喪失に伴う様々な反応)を支えるため、子どもたちの身体の安全はもちろん、心の安心を感じてもらう環境を大切にしています。


お話を聞いてみたい方、プログラムのご参加を希望される方は、お気軽にお問い合わせください。

 

 


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レインボーハウスでのボランティアを希望される方へ

レインボーハウスでのプログラムには、ファシリテーターと呼ばれるボランティアの方が不可欠です。
一緒に遊んだり、おはなしをしたりしながら、子どもたちの気持ちに寄り添います。
2日間の「ファシリテーター養成講座」受講後に、実際のプログラムにご参加いただけます。


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投稿者

峰島里奈

阪神・淡路大震災の被災や父親との死別経験から、親と死別を経験した子どもたちのサポートに関わりたいと思い、2010年に入局。学生寮「虹の心塾」での勤務を経て、神戸レインボーハウスにてグリーフサポートプログラムに携わっている。

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