ここは何を話しても受け止めてくれる場所|レインボーハウスインタビューシリーズ「ともに」#4
【2024年10月24日更新】
あしなが育英会の心のケアの拠点である「レインボーハウス」では、遺児、保護者、ファシリテーター(ボランティア)など、様々な人が出会い、繋がりが生まれています。レインボーハウスインタビューシリーズ「ともに」では、レインボーハウスと繋がりがある方々に、レインボーハウスでの人との出会いや経験など、これまでの歩みを中心にうかがい、ご紹介していきます。
アヤカさん(兵庫県 大学4年生)
アヤカさんは兵庫県内の大学に通う大学4年生です。大学1年生のとき、2018年から約4年間、「ファシリテーター(手助けする人の意)」として神戸レインボーハウスのケアプログラムに参加しています。子どものペースに合わせて、一緒に遊んだりお話ししたりする「ファシリテーター」は、プログラムにおいてなくてはならない存在です。子どもが自分の気持ちを表現するうえで、大事な役割を担います。大学卒業を迎える今春、ファシリテーターとしての活動が一区切りするアヤカさんに、ファシリテーターとして歩んだ4年間についてお話を聞きました。
レインボーハウスとの出会い
ー最初にレインボーハウスを知ったきっかけは?
大学の授業であしなが育英会の職員がゲストスピーカーとして震災や遺児の話をしていたのがきっかけです。私はマイノリティに関することに興味があったんですが、こういう形もあるのかと印象に残りました。自分は今まで経験していないけど、もしかしたら周りにいるかもしれない、とその時すごく考えました。
ーそこから、レインボーハウスの活動に関心があると、伝えてくれたよね。
はい。高校の時にカンボジアで10日間子どもたちに日本語を教えたりするボランティアをしたことがあったんです。私にとっては学びになったんですが、子どもたちにとって本当に意味のあることをするには、継続的に長く寄り添う必要があると感じて。そんなことを考えているときに、ドンピシャでレインボーハウスのことを知ったんで、大学のコメントペーパーに連絡先を書いて見学させてもらいに行きました。
ー見学、養成講座を終えてどうだった?
けっこう連絡先は勢いで書いたんで(笑)、見学のときはあんまり子どもたちと関わるっていう実感がなかったんですけど。養成講座を受けて、子どもたちのことを学んでいくうちに、よりレインボーハウスの必要性を知って、「ちゃんとやらなきゃ」って気持ちになりましたね。講座でエネルギーを合わせるであったり、言葉のリフレクションをすることは新鮮でしたし、絵を使ったワークをすることで、「自分の価値観押し付けていたかも」っていう気づきがあって、2日間みっちり学びになりました。
ファシリテーターとしての歩み
ープログラムに参加して、ファシリテーターとして子どもと実際に出会ってどうだった?
「自分の関わりがこれで大丈夫かな」っていう不安はありました。自分は両親との死別経験があるわけではないし、そういうことを学んできたわけではないので、「自分がいていいのかな」っていう感じでした。おままごとごっこを子どもとしているときに、登場人物にお父さんが出てこなくて。こういうことなんだと実際に触れたりもして、緊張しました。
最初、他のファシリテーターが気づいていることも自分は全然気づけていないなと思うこともあって難しさもありました。
ーそれでもファシリテーターとして関わりを続けてくれた
一番の理由は、関わっているうちに、ちょっとした子どもたちの変化や成長を感じることが嬉しかったからです。最初は全然意思表示しなかった子が少しずつ話をしてくれたり、参加するにつれて遊びがどんどん自由になって楽しんでいる様子を見て、こんな感じでいいんかなって思えるようになりました。それに気づけている自分への喜びというか、やりがいみたいなものも少しずつ実感できるようになりました。
ー印象的なこと、嬉しかったことってあった?
自分の似顔絵を子どもが描いてくれたのは嬉しかったです。子どもたちが長いこと続けているファシリテーターの絵を描いたりするのは見ていたけど、最初はやっぱり私の絵を描いてくれたりすることはなかったので。帰りに絵の写真を撮っちゃいました(笑)
あと、レインボーハウスに来たばっかりの女の子が、勇気を出して他の子どもを遊びに誘って、一緒に遊んでいるのも、ここだから安心して出来たのかなって思いますね。
子どもと一緒に絵を描いて遊ぶ
それに今でも気づくこと、学びになることはたくさんあります。おはなしのじかんで子どもたちが亡くなった親のことを話した後に、子どもたち2人で火山の部屋でパンチしてたりしているのを見て、こういう表現の仕方もあるのかって発見があってとても印象に残っています。自分の価値観を押し付けないことの大事さを改めて考えました。
ー関わりで気をつけていることは?
子どもたちの邪魔にならないようにじゃないけど、子どものペースを崩さないことは意識しています。例えば、おはなしのじかんで亡くなった親について紙に想いを書いたりするとき、書き始めた子には横にいるだけというか、あれこれ話しかけたりはしないようにしたりとか。逆に書けてなかったら「どんな感じ?」って聞くようにしています。
子どもたちとお話するアヤカさん
あと、ある子がお菓子を貰うときに、「私とお母さんと、お父さんの分。でもお父さんいないからこれも私の分」って言ってお菓子を貰ってたんです。学校だとそんなこと言えないだろうなって思って。子どもたちに安心してもらうことは大切にしています。
ー一緒に参加しているファシリテーターはどんな存在?
心強い存在です。自分が気づけないことを気づいたりっていうのもありますけど、包容力というか、始まる前でも全然ピリピリせず和やかなので、とても安心できる存在で心強かったです。
ファシリテーターを振り返って
ーファシリテーター、レインボーハウスは子どもたちにとってどんな存在?
ファシリテーターは、「他人だけど身近な大人」ですかね。レインボーハウスは自分を受け止めてくれる場所。なにを話しても受け止めてくれてくれる場所があることはすごく良いなと思う。その中で、自分もその場所づくりに関われているっていうのも嬉しい。
あるとき、参加している高校生が「ファシリテーターだから話も聞いてくれるんでしょ?」ってちょっとネガティブな感じで話していたんですけど、「ファシリテーターだから聞いてくれる」ってわかってるってことだよなって。だから家や学校で話せないことをここでは安心して話せるんだなって思ったんですよね。第2、第3の家じゃないけど、レインボーハウスをいつでも帰ってこれる場所って思ってくれたら嬉しいですね。
だから、子どもたちの成長というか、この場所があり続けることが、今来てる子どももそうだけど、これから来る子どもたちにとっても大切だと思います。
それに、レインボーハウスは親を亡くした子どものための場所だけど、どんな子どもにも困っていることや悩んでいることを受け止めてくれる場所って必要だと思うから、そういう場所がもっと増えれば良いな、と活動を続けていくうちに思うようになりましたね。私も集団行動とかあんまり得意なタイプじゃなかったんで、子どものときにレインボーハウスみたいな場所があったら良かったなって。特別しんどかったってわけではないですけど、転校とかもしたので、無条件に話を聞いて頼れる場所って大切だなって。
ーアヤカさんにとってレインボーハウスで過ごすことはどんな時間だったのだろう?
仕事でもない、友達と遊んでいるわけでもない、学生団体でもない特別な時間でした。誰も知らない所へ自分から飛び出した思い出深い場所です。毎回、チェックイン、チェックアウトをして自分の気持ちを言語化して整理できた場所でした。社会人になっても自分の気持ちに気づくことを大切にしたいです。
ーこの3月でファシリテーターとしての活動は一区切り。今後は?
はい。4年間活動して、やっぱりファシリテーターとして活動するためには、自分のコンディションが大事って学んだので。仕事が始まって余裕がないと思ったので、余裕が出るまでは一区切りとさせていただきました。
今後は、人材系の会社で転職支援などをしていく予定です。人と喋る仕事なので、価値観を押し付けずに、その人にとって話しやすい相談しやすい相手になりたいなって思うので、ファシリテーターとしての経験も活かしたいです。
インタビュー終了後、笑顔でポロっとアヤカさんがつぶやいてくれた。
「すごい楽しかったです、レインボーハウス。子どもたちと遊んで、おはなしして、お菓子食べて。レインボーハウスから帰るときも、今日のボール遊び楽しかったなって。偶然見つけたレインボーハウスだったけど、子どもたちと過ごせて良かったです」