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読もう!『とってもくやしい』|玉井義臣より VOL. 2

コラム 2021.05.18

 

 今から26年前の1995年1月17日、573人もの子どもたちが最愛の親を阪神・淡路大震災で亡くしました。

子どもたちにとってGWは、お父さんお母さんとの最も楽しい思い出のできる連休の一つですが、その年、震災遺児とその家族は‶何もないGW〟を過ごさざるを得ませんでした。それは、2011年の東日本大震災遺児も同じです。「もうこんなGWなんていらない!」と叫んだに違いありません。

 

 しかし今年2021年、今度は、新型コロナウィルス感染拡大防止の施策として第3回目の緊急事態宣言が発出され、またもや‶何もできないGW〟となってしまいました。五月晴を仰ぎながら震災遺児たちは一体どんな思いで過ごしたのでしょうか。そして今日は……。

 

 あしなが育英会は今年3月、東日本大震災遺児たちの「震災から10年」を綴った遺児作文集『お空から、ちゃんと見ててね』を刊行しました。遺児たちの素直な言葉、傷つき、それでも力を得て歩んできた心の奇跡。さらに、この10年間絶え間なく、遺児たちにそっと寄り添い励まし続けてきた人たちの渾身の言葉も綴られています。

 

いつの時代も遺児の生の声は私たちの胸を打ち、社会を動かしてきました。

 

 

「GW(ゴールデンウィーク)は寝てよう日」

編集長 玉井 義臣
               (1995・5・30記)

 

二十年ほども前、ある大新聞が交通遺児母子の〝レジャーなしのGW〟を大見出しで伝えた。阪神大震災遺児のGWは、「寝てよう」にも安心して寝る家もない。親戚が招いてくれて「お見舞いのお礼」が精一杯。レジャーなど「行けない」 「行く気にもなれない」。〝何もないGW〟だった。

 

その頃、もう「神戸」は忘れたように、「オウム」一色の報道だった。GW中、神戸事務所は開けて、東京からも職員が行き、ボランティアの人びとと不明分の遺児調査を続けた。ひところ一日二、三百人も集まった市民ボランティアが十人を切る状態だ、と聞いた。

 

宮崎真一君(大4、交通遺児)が中心になって、震災遺児作文集『とってもくやしい』をつくってくれた。震災二か月後の有馬で、短い時間に書いてくれた子らの文は、痛々しい。

二十八年前、交通遺児中島穣君(小5)の作文「天国にいるおとうさま」は全国の茶の間と国会までを揺るがせ、遺児救済を一気に進めた。その後、若い同志たちは各地で何十冊も作文集を発刊し、地元の子らの訴えが大人たちの胸をえぐった。

でも今度の本には違う悲しさがある。ついこの間、父が、母が、きょうだいが、おじいちゃんが、おばあちゃんが、亡くなった。家が倒れ、下敷になり、泣き叫んだ、寝れば夢に出てくる、そのことを書けというのは残酷だ(ごめんね)。

 

でも、すべての日本人が、いや世界の人びとも、この子らの心の底からのうめきを聴きとってほしい。一つの死がもたらす子、妻、夫、きょうだい、親の人生への波及は、いくつの言葉を重ねても表現できない。感性と想像力で、この子らの鎮魂の詩を読んでほしい。できればまわし読みして下さい。

山本孝史・藤村修代議士から衆参両院議員全員に配布。あしなが募金、Pウォークとも、大雨と春の嵐とサリンに負けた。

Pウォークは報道一社もなし。オウム待機のため。でも、ボランティアの新しい波は確実に芽を吹き始めている。「震災遺児5億円募金」はただ今「1億754万円也」。P&G社の世界百五十数か国十万人社員と同社が四十四万㌦寄付。あしながさんの輪、世界に。

 

ともあれ震災四か月走り続けた活動だが、一息いれて。息長くこの子らと共生していこう。夏休みには、子らにGWのような思いはさせないと、神戸で楽しみな企画が進行している。

20万人ガン遺児の実態調査ご一読を。看護する母が一番必要としたものは「言葉と貨幣」(副田先生)。

(1995・5・30記)

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