「レインボーハウスは自分にとって居場所。みんなにとっても、そんな場所になってほしい」
あしなが育英会の「心のケアの拠点」であるレインボーハウスのプログラムにおいて、なくてはならない存在である「ファシリテーター(手助けする人の意)」。子どものペースに合わせて、一緒に遊んだり、お話ししたりするファシリテーターは、子どもが自分の気持ちを表現するうえで大事な役割を担います。バックグラウンドは様々ですが、子どもたちに対する熱い想いは皆さんに共通すること。インタビューシリーズ「ともに」では多種多様なファシリテーターの方々に、どのようなきっかけでこの活動を始め、どのような気持ちで子どもたちと関わっているのかを伺います。
第二回は、神戸レインボーハウス、あしながレインボーハウスでファシリテーターとして活動している上甲朝香さん(あさか※)と山本果歩さん(かほ※)にお話を伺いました。2人とも父親を亡くした経験があり、小学生から神戸レインボーハウスに遊びにきていました。2017年から、ファシリテーターとしてのあゆみを始めています。親友でもある二人を紹介します。
※つどいで、子どもたちや他のファシリテーターから呼ばれているあだ名。
神戸レインボーハウスという「もう一つの家」
2017年の秋、神戸レインボーハウスの電話が鳴りました。
「もしもし、またレインボーハウスに果歩と朝香で行きたいんやけど、お手伝いで行っていい?」
果歩さんの懐かしい声でした。
山本果歩さんは、小学3年生になった春、父親を亡くしました。学校の先生の紹介で、母親、弟と一緒に神戸レインボーハウスに来館するようになり、話を聴いて、遊んでくれるファシリテーターや友達がいる楽しい場所となりました。果歩さんにとって、必ず誰かが寄り添っていてくれる、全てを受け止めてくれる「居場所」でした。
上甲朝香さんは4歳の時に父親を亡くし、小学2年生の時、母親、妹弟と初めて来館しました。ファシリテーターは「ちょっと大きい友達」。宿泊のつどいで夜更かしして叱られたこともいい思い出。「誰より自分のことをよく知っていてくれて、自分を包み隠さずオープンにすることができる」ファシリテーターがいるレインボーハウスは「もう一つの家」でした。
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子どもの頃の二人
ファシリテーターとしてスタート!
二人とも、中学生で部活が忙しくなり来館は途絶えていましたが、高校生の部活が引退となった頃、「またレインボーハウスに行きたいな~」と話していたとのこと。レインボーハウスに戻り、ファシリテーターをすることは二人にとって自然な選択でした。
2018年夏、ファシリテーターとして初めて参加した「海水浴のつどい」。「こんなにファシリテーターは準備をし、私たちのことを考えていてくれたんだ」と感じ、同時に自分たちに務まるのか緊張しました。それでも、いざ本番を迎え、子どもたちを前にすると自然と甦る感覚がありました。
「自分がしてもらって嬉しかったことをしよう」という二人の想いは同じでした。
「レインボーハウス以外でしんどいことがあっても、ここで遊んで、少しでも元気になってもらえたらいいなと思う。自分にとって居場所だから、みんなにもそうあって欲しい」 ゆっくり考えながら、そう話してくれる果歩さん。レインボーハウスの玄関で、ファシリテーターが必ず「またね~」と全力で手を振りながら見送ってくれた光景は今でも覚えていると言います。
「照れ臭かったけど、めっちゃ嬉しかった。自分がそうしてもらったように、レインボーハウスで子どもたちをしっかり迎え送り出したい」
朝香さんは、「気遣わず、普通に友達感覚でいい。子どもたちにとってそういう存在になりたい。きっと横にいるだけでいいんだと思う」と自分がしてもらったことを思い返しながら、口調は穏やかながら力強く語ってくれました。
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果歩さん。海水浴のつどいにて

朝香さん。海水浴のつどいにて、子どもたちと
子どもたちはファシリテーターに会いにレインボーハウスにやってきます。話を聴いてもらいに、一緒にめいっぱい遊びに訪れます。安心できるファシリテーターが、安心できるレインボーハウスを作っている、そう感じます。昔も今も変わらない優しい想いのバトンを、果歩さん、朝香さんは、現在目の前で出会う子どもたちに、愛情をもって渡し続けてくれているのだと思います。