レインボーハウスは自分にとって居場所。みんなにとっても、そんな場所になってほしい|レインボーハウスインタビューシリーズ「ともに」#2
【2024年10月24日更新】
あしなが育英会の心のケアの拠点である「レインボーハウス」では、遺児、保護者、ファシリテーター(ボランティア)など、様々な人が出会い、繋がりが生まれています。レインボーハウスインタビューシリーズ「ともに」では、レインボーハウスと繋がりがある方々に、レインボーハウスでの人との出会いや経験など、これまでの歩みを中心にうかがい、ご紹介していきます。
朝香さん、果歩さん
幼い頃に父を亡くした経験があり、小学生のときから神戸レインボーハウスに遊びにきていた朝香さんと果歩さん。二人は、2017年から、子どもたちを手助けする「ファシリテーター」となってレインボーハウスに戻り、歩み始めています。親友でもある二人にお話しを聞きました。
神戸レインボーハウスという「もう一つの家」
2017年の秋、神戸レインボーハウスの電話が鳴りました。
「もしもし、またレインボーハウスに果歩と朝香で行きたいんやけど、お手伝いで行っていい?」
果歩さんの懐かしい声でした。
山本果歩さんは、小学3年生になった春、父親を亡くしました。学校の先生の紹介で、母親、弟と一緒に神戸レインボーハウスに来館するようになり、話を聴いて、遊んでくれるファシリテーターや友達がいる楽しい場所となりました。果歩さんにとって、必ず誰かが寄り添っていてくれる、全てを受け止めてくれる「居場所」でした。
上甲朝香さんは4歳の時に父親を亡くし、小学2年生の時、母親、妹弟と初めて来館しました。ファシリテーターは「ちょっと大きい友達」。宿泊のつどいで夜更かしして叱られたこともいい思い出。「誰より自分のことをよく知っていてくれて、自分を包み隠さずオープンにすることができる」ファシリテーターがいるレインボーハウスは「もう一つの家」でした。
子どもの頃のふたり。プログラムで陶芸に挑戦
ファシリテーターとしてスタート!
二人とも、中学生になり部活が忙しくなってから、来館が途絶えていましたが、高校生の部活が引退となった頃、「またレインボーハウスに行きたいな~」と話していたそうです。レインボーハウスに戻り、ファシリテーターをすることは、二人にとって自然な選択でした。
2018年夏、ファシリテーターとして初めて参加した「海水浴のつどい」では、「ファシリテーターはこんなに準備をして、私たちのことを考えていてくれたんだ」と感じ、同時に、自分たちに務まるのか緊張しました。それでも、いざ本番を迎え、子どもたちを前にすると自然と甦ってくる感覚がありました。「自分がしてもらって嬉しかったことをしよう」という二人の想いは同じでした。
「レインボーハウス以外でしんどいことがあっても、ここで遊んで、少しでも元気になってもらえたらいいなと思う。自分にとって居場所だから、みんなにもそうあって欲しい」 ゆっくり考えながら、そう話してくれる果歩さん。レインボーハウスの玄関で、ファシリテーターが必ず「またね~」と全力で手を振りながら見送ってくれた光景は今でも覚えていると言います。
「照れ臭かったけど、めっちゃ嬉しかった。自分がそうしてもらったように、レインボーハウスで子どもたちをしっかり迎え送り出したい」
朝香さんは、「気遣わず、普通に友達感覚でいい。子どもたちにとってそういう存在になりたい。きっと横にいるだけでいいんだと思う」と自分がしてもらったことを思い返しながら、口調は穏やかながら力強く語ってくれました。
果歩さん。海水浴のつどいで
朝香さん。海水浴のつどいで、子どもたちと
多くの子どもたちは、ファシリテーターに会いにレインボーハウスにやってきます。話を聴いてもらいに、一緒にめいっぱい遊びに訪れます。
安心できるファシリテーターが、安心できるレインボーハウスを作っている、そう感じます。果歩さんと朝香さんも、今も昔も変わらない優しい想いのバトンを、今、目の前で出会う子どもたちに、愛情をもって渡し続けてくれているのだと思います。
(インタビュー:心のケア事業部職員)