東日本大震災遺児への本会職員によるインタビューがNHKホームぺージに掲載されました
東日本大震災の津波でお父さんを亡くした久我理亜(くが・りあ)さんへの本会職員によるインタビューがNHKホームぺージ・みんなでプラス「いま言葉にしたい気持ち~東日本大震災あの日から~」に掲載されました。
久我さんは宮城県出身。自宅は内陸部で無事でしたが、父・正春さん(当時43歳)は沿岸で仕事をしていて、帰らぬ人となりました。
彼女は震災後、本会の心のケアプログラム に参加したあと、世界を旅しながら音楽や絵画の創作をしつつ、次の挑戦の準備をしています。
記事の一部を再構成し、紹介します。
振り返って気づく父を追いかけている自分
―震災から10年経ってお父さんへの気持ちに変化はある?
久我:14歳の時に震災があったので、お父さんについて知らないことが多い。でも、その時まで見ていた父親は、音楽と本と釣りが好きな人だったから、釣りに対するロマン、音楽に対するロマン、そして本を読むことの大切さは、父から学んでいる。追いかけている部分があるかなと思います。
―お父さんを追いかけているのは、震災直後から、それとも時間がたってから?
久我:震災直後は何を考えていたのか、あんまり覚えていないんです。でも、震災後からお父さんのギターを弾き始めたので、震災直後から何となく追いかけていたのかもしれません。
久我さんが大事にしている父の形見のギター
生きづらい人の力になりたい
―「多様性を受け入れられるような場所を作りたい」って聞いたけど。
久我:多様性もそうですけど、日本で暮らす生きづらい人、例えば移民とか難民とか…そういう人たちの力になれたらいいかなと思います。日本の多くの人は、外国人に対しちょっと壁があるように思う。でも、私にはもうない。その分、近くでちょっとでも支えになりたいと思います。多様性とか人種差別について学びたい。そのため、社会学に関心を持っています。
《NHKみんなでプラス「いま言葉にしたい気持ち~東日本大震災あの日から~」》
「“震災遺児”は自分のほんの一部」|わたし×レインボーハウス職員【前編】
“死”のイメージが少し明るくなった|わたし×レインボーハウス職員【後編】
《あしなが育英会の機関紙『NEWあしながファミリー』》