【東日本大震災遺児と家族の手紙紹介】あの日から15年。今、感じていること
あしなが育英会の東北レインボーハウスでは、東日本大震災から15年経つ今年、本会とつながりのある東日本大震災遺児とそのご家族に呼びかけて、「今、感じていること」を言葉や絵にしてもらう「お手紙企画」を実施しました。
テーマは、15年という時間のなかで変わったこと・変わらなかったこと、胸に残ってきた思い、支えになったもの。そして、ご寄付やご支援を通じて支えてくれた「あしながさん」へのメッセージです。
届いたお手紙につづられた文章をご紹介します。ぜひお読みください。
※()内は在住都道府県名と属性
震災遺児からの手紙
15年という時間の中で、5歳だった私は20歳になりました。震災を経験して、⺟を亡くし、故郷もめちゃくちゃにされて絶望していた時から、⼼も体も⼤きく成⻑しました。
震災で⼼に傷を負ってから、「⾃分はなぜ⽣きているんだろう」という気持ちを抱いたこともありました。その時に⼼の⽀えになったのは、ボランティアの⽅々です。遊び場を提供してくれたり、話を聞いてくれたりしました。⾃分を優しく⾒守り、気にかけてくれた⼈達、復興に向けて⾏動してくれた⼈達に、本当に感謝しています。
今、私は看護師になるという夢ができ、⼤学で看護について学んでいます。こうして夢をもって学べるのも、全て私を⽀えてくれた⽅々のおかげです。私を⽀えてくれた⽅々のように、私も⼈を助け、⽀えられる⼈になりたいと思っています。
これまでのご⽀援、本当にありがとうございました。私が看護師という夢を持って⼤学で学べているのは、⽀えてくださったあしながさん達のおかげです。あしながさんたちのように、次は私も誰かの⽀えになれる存在になりたいです。
これからも⽇々感謝しながら、患者さんの⼼に寄り添える看護師になれるよう頑張ります!(宮城県・震災遺児)
悲しみは変わらないけれど、⾃分の中で変わらないことや、少しずつ変わりつつある気持ちもある。時間の進み⽅は遅いのかもしれないけれど、確実に前に進んでいます。家族や友⼈、その場その場で出会った⼈がいたから今にたどり着いたのだと思います。
(当時は)震災後で、中々実感が湧きにくいところでしたが、その時、誰かが⼿を差し伸べてくれたから今につながっているのだと思います。時間が経つほどあの時の⽀援がどれほど⼤切なのかを実感しています。私も、いずれは誰かの助けになれるようこれからを⽣きていきたいと思います。(宮城県・震災遺児)
亡くなった⽗の存在はずっと⽀えになっています。
あしながさん、いつもご⽀援頂き本当にありがとうございます。
(神奈川県・震災遺児)
⼩さい頃、と⾔えるくらい昔のことになったし、それくらいの時間が経ちました。
⼩学⽣の時はあしながさんのお陰で⾊んな場所や⼈に出会えました。あの体験があったから、⾃分の⾜でどこかに⾏けるというイメージが着いたんだと思います。
⼈⾒知りであまり⾃分から話さない⼼を開かない難しい⼦供だったと思いますが、あの時だけは⼦どもらしくいられました。家に帰って祖⺟に写真を⾒せた時、スタッフの⼈に抱きついてる私を⾒て驚かれたのを覚えています(笑) みんなの話が⾯⽩くて笑ったり、キャンプの最後の⽇が寂しくて泣いたりできるくらい感情を動かされて、本当にいい体験でした。
私にとって震災は⼈⽣で初めての絶望で、家族もみんな亡くなってしまったので、世界の全てが変わってまうような出来事でした。 ⾃分の⽣きる指針や意味が無くなっていた私にとって、あしながさんを含め、沢⼭の⼤⼈が道しるべとなってくれました。
これからもたくさんのこどもたち の⼈⽣を明るく照らす存在でいてください。(愛知県・震災遺児)
亡き妻への手紙
あの日の妻へ
あの日の朝、いつものようにあわただしく朝食を済ませ、身支度を整え、車に乗り込んで行きましたね。
“いってきます”の挨拶をお互い交わしたか覚えていません。
きっと君は、声掛けしてくれたでしょう。自分はどうだったかな…。
あの日から15年、我が家は元気に、皆、暮らしているよ。
2人の子どもたちは、26才と21才とそれぞれ大きくなり、家のことを手伝い、じいちゃん、ばあちゃんとも仲良く接してくれている。
2人ともそれぞれ、君の素敵だったところも、受け継いでくれているよ。
自分には過ぎた子ども2人を残してくれてありがとう。
もう少し、子どもらの成長を見届けさせてほしいです。感謝。(宮城県・震災遺児の父親)
震災遺児のご家族からの手紙
少しづつ、自分の気持ちのなかで整理ができていることや受けとめることができることが増えていると考えることがあります。
一方で、父として、母を失った息子の、当時から今までの気持ちの受けとめや、もう少し寄り添うことができたことがあったのではないかと都度思うことがあります。
それでも今振り返ると、家族や友人、職場のみなさん、地域の方々が同じような境遇にあるなかで、それぞれの置かれている状況をできる範囲で理解、協力し、また、あらゆる面で様々な方々から支援や励まし、寄り添う気持ちを届けていただいたおかげで、その時々で自分にできることや踏ん張ること、休むこと、気持ちを整理することができ、ここまで歩んでくることができたと感謝しております。
皆様のおかげで私も息子もここまで来ることができました。
被災から時間が経過していくなかで、その時々に必要な支援をいただき、何度も私たちを助けていただいたことに感謝しております。
陸前高田にはレインボーハウスも整備いただき、近所にあったことから、息子は、私がいなくても自転車で通うことができ、遊んだり、お話ししたりと、気兼ねなく気持ちを落ち着かせることができたのだと思います。
また、息子が小学生のときには、フィリピンへのイングリッシュキャンプに参加させていただき、貴重な体験をすることができました。帰国後、当時サッカーを教えていただいたコーチから、チームメイトへの声がけや励ましなど、関わり方がすごく積極的になったと褒めていただきました。とても嬉しかったことを昨日のことのように思い出します。
今は、息子も陸前高田を離れ、あしなが育英会様からのお手紙を拝見するのみですが、当時の苦しかったなかでも、皆様からの優しさに触れることで救われていたことを思い返しております。ありがとうございます。(岩手県・震災遺児の父親)
拝啓 梅の花も咲き、春の訪れを感じられる近頃、あしなが育英会の皆様には、日頃から大変お世話になっております。
三月、卒業や引っ越し、何かと慌ただしい季節となり、震災から15年を迎え、3月11日が近くなると、毎年ながら悲痛なおもいになります。あたり前の日常生活を過ごす今、沢山の方々の応援やご支援を賜り、心から感謝申し上げます。
当時、小学一年生だった孫も、今年、社会人一年生スタートです。まず、健康第一に、大人として自覚と責任をもって生きてほしいと思ってます。
最後に、震災直後、不安と絶望で大人達が右往左往している中、真っ先に支援してくださったのはあしなが育英会でした。これからも歩みに寄り添う存在として、皆様方のご健康とご活躍を心より願っております。(福島県・震災遺児の祖母)
いつも連絡ありがとうございます。又、育英会の活動にご苦労に、お礼申し上げるとともに感謝申し上げます。
本年は長女が結納のはこびとなる予定です。無事にそうなる事を祈っているところです。そしてそうなる事を報告します。
このことを一番、母が喜んでいることと思っています。ここにお礼申し上げます。(岩手県・震災遺児の父親)
次の記事もぜひお読みください。
「3.11を安心して過ごせる場所」ー東日本大震災から15年。レインボーハウスで迎えた一日
レインボーハウスのプログラムに関心のある方へ
あしなが育英会では、各地のレインボーハウスで、親を亡くした子どもたちの心のケアプログラムを実施しています。子どもたち一人ひとりのグリーフ(喪失に伴うさまざまな反応)を支えるため、子どもたちの身体の安全はもちろん、心の安心を感じてもらう環境を大切にしています。
話を聞いてみたい方、プログラム参加を希望される方は、お気軽にお問い合わせください。
- あしながレインボーハウス(東京)…首都圏の小・中学生遺児とその保護者、および全国の小4~中学生遺児とその保護者が対象
- 神戸レインボーハウス…関西圏の小・中学生遺児とその保護者が対象
- 仙台レインボーハウス…東北地域の小・中学生遺児とその保護者が対象
レインボーハウスでのボランティアを希望される方へ
レインボーハウスでのプログラムには、ファシリテーターと呼ばれるボランティアの方が不可欠です。
一緒に遊んだり、おはなしをしたりしながら、子どもたちの気持ちに寄り添います。
2日間の「ファシリテーター養成講座」受講後に、実際のプログラムにご参加いただけます。










