レインボーハウスは今もこれからも、「思いっきり遊べるところ」
あしなが育英会の「心のケアの拠点」であるレインボーハウス。そのなかの一つである陸前高田レインボーハウスは、東日本大震災をきっかけに建設され、現在も震災で親をなくした子どもとその保護者を対象としたプログラムを実施しています。
東日本大震災で父親をなくし、2011年12月からあしなが育英会のプログラムに参加している中学2年生の皇騎(おうき)さんと、小学6年生の宗真(しゅうま)さんの山陰兄弟に、震災体験やレインボーハウスでの思い出、今後の生活について話してもらいました。
仏壇の写真見て「優しそうだなって」
―震災から10年というタイミングで、今年の3月11日にレインボーハウスに来てくれたよね。その前は、2019年のクリスマスのプログラムに来たのが最後だよね?
2人:(3月に来たのが)1年くらいぶりだった。
―(震災の日に)2人のお家で「こういうことはする」とかある?例えば、毎年追悼式行ってるなぁとか、震災の日の前後で必ずお墓参り行くなぁとか・・ ・。
皇騎:震災の日にお墓は行く。
宗真:お父さんの同僚来るよね、お盆とかお正月とかに。
皇騎:毎年来る。最近はコロナだからあまり来れてないけど。あと、(3月)11日。
宗真:11日も来る。
―震災から10年たって、父ちゃんのイメージとか思うことはある?
皇騎:特に思い出したりはない。
宗真:写真あるじゃん?あれ見て優しそうだなって。
―それ、仏壇にある?拝むの?
2人:拝むよ!
宗真:試合行く前とか。
2人にとってのレインボーハウス

幼少期の山陰兄弟。「岩手県立陸中海岸青少年の家」にて
―これまでのレインボーハウスでの思い出は?
皇騎:はしゃぎまわった。とにかく遊んだ。まずボールを蹴って、バドミントンして、ご飯食べて、鬼ごっこして、ホール※①のところでテントで寝る。
―お気に入りの場所とか、お気に入りの遊び方は?
皇騎:ホールの2階の柵※②からハリー君※③を落とすこと。
宗真:ハリー君の手結んで、足結んで・・・。
皇騎:ホールでサッカーだの、野球だのするのが面白かった。ホールで遊ぶのが面白い。
―レインボーハウスは、2人にとってどういうところ?
皇騎:思いっきり遊べるところ。
宗真:同じく。
―学校と違う感じはある?
宗真:あしながは、気軽。
皇騎:最低限のあれ(ルール)はあるけど、特に「これOKだけど、こういうのするな」ってないじゃん。好きなときに自由に遊べる。
※①ホール・・・陸前高田レインボーハウスの館内にある多目的ホール
※②ホールの2階の柵・・・多目的ホールを2階から覗ける場所にある柵
※③ハリー君・・・レインボーハウスにある、子どもたちのエネルギーを受け止める等身大の人形

ハリー君での遊び方を披露する2人
これからやってみたいこと
―今後、レインボーハウスとどうやって付き合っていきたい?
皇騎:遊びたいね。遊びたい。
宗真:まずコロナが収まって、来れたら遊んだりしたい。
皇騎:森でキャンプしたり。少しくらい落ち着いたらできそう。
―コロナを全く気にしなくていいよって言われて、レインボーハウス来れたら何する?
2人:とにかく遊ぶ。
皇騎:遊んで、ご飯食べて、風呂入って、寝る。泊まりたい。
―ワンデイ※④もいいし、泊りもしたいって感じか。
2人:泊りもしたい!
※④ワンデイ・・・レインボーハウスの日帰りプログラム
―今後の人生、どうしたい?具体的に目標があったら教えて?
皇騎:頑張りたいことは剣道と勉強。今の目標は、剣道部として全国大会に行く。小学校のときは2回行ったけど、中学校のときはまだ行ってないから・・・頑張りたいなって感じ。
―もう少し先の将来は?
皇騎:仕事しながら剣道やってみたい。
宗真:車の部品作る人。組み立てるのをやってみたい。プラモデルとか好きだから、作るの。
―そうなんだね。色々教えてくれてありがとう。
レインボーハウスに通い始めたころは、とにかく遊んで、とにかくおしゃべりして、溜まっているエネルギーを爆発させ、そしてふとした時に甘えていた2人。今は遊ぶだけではなく、「どうしたの?」「大丈夫?」と周りの参加者のことを気にかけるようになり、さらに、自分たちの気持ちを言葉として発せられるようになりました。2人が語ったレインボーハウスへの想いから、ここが彼らの歩みにとって重要な場所となっていると感じます。
聞き手:山下高文(陸前高田レインボーハウス職員)