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あいだ、で。

コラム 2021.12.28

夜雨、数日で雪に変わっていく気配。仙台で7回目の年の瀬を迎えている。

 

年末年始の天候が気になるが、引っかかっているのは「地震」である。このところ(日本の)各地で震度5前後の地震が相次ぎ「津波の心配はありません」というフレーズを何度聞いただろう。

 

千葉県北西部を震源とする最大震度5強の際は、福岡の知人から「大丈夫ですか?」とショートメールが届き、僕は仙台にいるんだけどと思いつつ、一方で慌てて横浜の家族に連絡、無事を確認し、人差し指で詳細を確認。ニュースの「この地震による津波の心配はありません」に安堵しつつ、「東日本大震災から10年と半年の関東での地震でした」に目がしばらく留まった。そこから震度1までの地名をたどるとなんと奈良県大和郡山市までたどり着いた。仙台も同じだった(宮城県丸森町は震度3)。

 

そこからあの日の「津波の心配はありません」を恐怖の思いとともに思い起こした。

 

それは今年2月13日の東北地方の地震だった。東日本大震災から10年を迎えようとするひと月前。私は仕事仲間と共に翌日の交流会のために岩手県大船渡市の海に近い再建されたホテルの5階の部屋に一人いた。もうしばらくで新しい日が来るというときに、緊急地震速報が鳴り始めホテルは大きく揺れた。

「まだか?長い!」、体が一瞬動かない、テレビをつける(ついたと安堵)。

「津波が来たらここはどうなる?」

「留まる方がいいか?」

「外に出るか?」

靴を履いて部屋を出ようとしたとき、「津波の心配はありません」とアナウンサー。ほっと胸をなでおろした。

 

翌日は陸前高田レインボーハウスで日帰りのグリーフサポートプログラムを開催した。参加した子どもたちからは昨夜の地震の話題はこれと言って出なかったと記憶している。

しかし、ある中3の男の子を自宅に送る車中で彼が語り始めた。

 

昨日の地震大きかったですよね。起きてて、びっくりして、人生最大の地震のような感じで・・・。1階のばあちゃんが気になって2階からおりたら真っ暗で。「ばあちゃん、起きろ。地震だ」と言ってテレビをつけたら「津波の心配はありません」となって安心したんです、と。

 

人生最大の地震?君はその津波でお母さんを亡くしているではないか?それなのに人生最大の地震とは。そう思っていると「僕、保育園にいて昼寝してて、地震でおこされて、その時、お菓子頂戴とかいってたらしいんです。そして逃げたんです」と教えてくれた。

 

実はプログラム開始前に、別のスタッフが当の祖母に「大きな地震があった後ですが参加されますか?プログラム中にまた地震がおきるなどしたら心配ではないですか」と確認の電話をしていたのだった。その際「あしながさんと一緒なら安心だから本人が行きたいというなら行かせます」「(昨夜)なんでばばは、そんなに冷静なのって聞かれて、震災のときはこんなもんじゃなかったから、今くらいの震度(震度4)だとこうなるんだということを覚えておかなくちゃいけないんだよと言ってやったんです」という対話をしていた。

 

身に刻むこと。それは時には非常に苦しいものとなる可能性も高い。が、生き延びるために「身に刻む」ことが求められる。情報としての学びは、そうでないと生かされないのだ。

 

私たちは地震と地震の間、次に来る地震の前に生きている。少し長いスパンで見ると1995年の阪神淡路大震災の後、新潟中越地震(2004年)、東日本大震災(2011年)、熊本地震(2016年)と続いている。熊本はその後大きな水害にも襲われた。私たち日本に住むもの(滞在している人も)は「災間」*と次の「災前」を生きているのだということを強く意識した年だった。

 

自分の住む場所で、訪れた場所で、移動中はまた別の次元で、周囲の環境や避難箇所などに注意を向けるという習慣が求められるということだと思う。

 

 

年の瀬に気になることもう一つ。

新型コロナウイルスのよるパンデミックがまだ全世界を覆い続けている。

レインボーハウスでのグリーフサポートプログラムのさん間(時間、空間、仲間)もその影響を受け、関わり方、関わりの在り方を攪乱(プログラム中止や延期、オンライン開催など)した。ステイホーム、ソーシャルディスタンス、リモートワークのような今なお昔かたぎ、アナログ派には実感を伴わない言葉で表される事態が家庭や学びの場、仕事場という身近な世界まで攪乱し続けている。

 

また日本人の死因に新型コロナウイルス死が入った。毎日のニュースで死者数が報じられ「死がそこまで来ている」、自分自身の「死」、家族の「死」、親しい人の「死」を恐れるということも起こった。ウイルスの特性から臨終にも寄り添えず、亡骸にも寄り添えず、葬儀にも立ち会えないといことが起こった。人間にとって何より大切な追悼やグリーフワーク(喪の作業)が困難になったと痛感している。

 

2020年のWHO「パンデミック宣言」、国内の「非常事態宣言」後、レインボーハウスで働く私たちにできることは何だろう?と考える中で、ウイルスを知ること、感染のメカニズムを知ること、日常生活の中でこれまでにない変化を自覚し、またストレスを自覚してセルフケアを実践してみることが大事ではないかと思い至り、WHOなどの資料を元にそれらの内容を手紙で子どもたちや保護者の方々にお知らせした。またどんな状況かを教えていただくアンケートにもご協力をお願いしたところ様々な声が届いた(2020年6月実施)。

 

やりとりの中で気づいたことは「離れていてもつながっているよ」という思い合いの大事さ、力強さだった。今年はさらに、感染状況を鑑みながら時折実施できたグリーフサポートプログラムでの「おはなしの時間(グリーフワークの時間)」でキャッチボールした対話の中で、子どもたちや保護者の「亡くなった人とのつながり」をあらためて感じた。どこで生きているかに加えて、「私は誰とつながって生きているか」が大事かもしれないと。グリーフサポートの場が「誰と生きているか」の再構築の場にもなりうるということを考えた。

 

これからもしばらく混乱は続き、時に攪乱させられることはあるかも知れない。

 

でも、その都度、できるだけ攪乱されたものを見据えて、解きほぐしつつ、時間と空間と仲間を紡ぎなおす作業を持続したいと思う。一人で、仲間で、共に。

 

新型コロナ死はもちろんのこと、病気や自死など様々な理由で亡くなった方々への追悼も忘れずに年の瀬を過ごしたい。

 

2021年12月18日記 西田正弘

 

*注「災間」とは、仁平典宏氏「<災間>の思考―繰り返す3・11の日付けのために」(「辺境からはじまる 東京/東北論」2012年明石書店)から引用しました。

*写真は仕事仲間を介して出会った写真家小岩井ハナさんに、東京本部で1年ほど前に撮っていただいたものです。

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