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私たちは災間を生きているということ

コラム 2023.02.03

あしなが育英会では奨学金事業以外に、レインボーハウスと呼ばれる「心のケアの拠点」で親をなくした子どもとその保護者を対象に、「グリーフサポート」のためのプログラムを開催しています。

コラムシリーズ「あゆみ」では、本会の職員含めグリーフサポートに携わっている人たちに、このような活動をするようになったきっかけ、自身や人々のグリーフと触れ合うなかで感じることなどを紹介してもらいます。

 

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1人のお母さんの言葉

仙台レインボーハウスで定期で行われるプログラムに「ワンデイプログラム」があります。そこには、東日本大震災で親をなくした子どもとその家族の方らが集います。子どもたち、保護者たちはいつもの日常から少し離れた時間を過ごします。

 

あるとき、一人のお母さんが

「子どもたちには何があっても、命だけは持ち帰ってきてって。それだけでいいからって・・・いつも伝えているの」とおっしゃいました。

 

私の周りでは、命が続くことが前提で日常があるように感じます。朝、玄関で家族と別れるとき「あぁ、もしかしたらもう会えないかもしれない」と、考えることはほとんどないのではないでしょうか。「もしかしたらまた突然大切なものを失うかもしれない」と考えながら過ごす日々とは・・・そのお母さんの言葉を聞いた瞬間、おなかの底をぎゅっとつかまれたような感覚におそわれました。

 

失うかもしれないという体験

私は28年前の阪神淡路大震災の時は京都に、12年前の東日本大震災の時は山形に居ました。どちらの震災も、県境をまたいだ隣は未曽有の災害地となったのに、私が居た地域では、物資の不足や一部ライフラインが止まるという困難はありましたが、生活が根底から変わるようなことは、ほとんどありませんでした。

昨年の3月16日に、震源地 福島県沖 最大震度6強の地震が発生し、仙台市内は5強の揺れとなりました。地震大国に生まれて半世紀ともなるのに、建物がきしむ音と、食器の割れる音、携帯のアラームが鳴り続ける中、私は「怖い怖い」と叫び続けました。子どもたちとお互いの体を掴み合いながら、「死ぬなら3人一緒で」とその時思ったのです。誰かが生き残るなんてそんな辛さは味わいたくないし、味わわせたくないと思いました。今思い出しても胸が詰まります。その後も事あるごとに、その時の感覚を思い出し「あぁこの思いは一人では抱えきれない」そう思いました。

 

2年ほど前に縁あってあしなが育英会に入職し、仙台レインボーハウスで仕事をするようになった私は、子どもたちや保護者と関わる日々を重ねることで、消し去ることのできない喪失感や全く歯が立たない自然の力への恐れのようなものを、徐々に心の中に蓄積させていたのかもしれません。

 

災間を生きるために

保護者の方々の口から、想像することさえ躊躇するそんな経験が語られるときがあります。でも語らいの空間には、いつも明るい笑い声も響きます。お年頃になった子どものあるある話や、癒しを求めての推し活の話、サンタさんいつまで信じさせるか問題などなど。それは「いつもの空間」で「同じような経験をした仲間」と「語りをファシリテートする人※」が長い時間をかけて居場所を作ってきたからなのだと思います。そしてその居場所が、過去を振り返ることを大事にしながらも、人生を前に進ませようと必死に歩んできた保護者を支えているのです。

 

※プログラムにはファシリテーター(手助けをする人)と呼ばれるボランティアが常にそばにいます。

 

私は昨年の地震を経験して、日本は災害と災害の間(災間※)を日常として生きているとはっきり感じるようになりました。いつか、また、突然、何かを失うかもしれないと。誰にでも起こりうることなのです。その時、何があれば、私たちはまた前を向いて進むことができるのでしょうか。ハード面の復旧は時間とお金があればおおよそ片が付きます。しかし、なくしてしまった悲しみや寂しさに心をつかまれる日々は終わりがなく、その思いを抱えながら折り合いをつけて生きることが必要になります。

レインボーハウスとファシリテーターの存在が、いま東北でグリーフを抱える人々の支えになっているように、全国にレインボーハウスのような居場所とファシリテーターという共に時を過ごしてくれる人がいたら、災間を生きる私たちにとってどんなに力強いことか。私はそう感じるのです。

 

※「災間」とは、仁平典宏氏「<災間>の思考―繰り返す3・11の日付のために」(「辺境から始まる 東京/東北論」2012年明石書店)から引用しました。

 

 

2023年2月3日記

 

 

鈴木 慈(すずき・めぐみ)

1969年4月30日生まれ 山形県山形市出身

大学卒業後は様々な企業で仕事を経験し、2020年10月にあしなが育英会に入局。仙台レインボーハウスの総務的な業務を担当しつつ、2022年から主に東日本大震災で親をなくした子どもやその保護者が参加するプログラムの運営や保護者のサポートにかかわっている。

投稿者

山下 高文

東日本大震災から約1年後の2012年に入局。入局前から、学生ボランティアとして死別体験をもつ子どもたちを支えるグリーフサポートプログラムに関わる。 現在は、職員としてプログラムの企画・運営・進行を行っている。

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